内田篤人の名言
元サッカー選手、サッカー解説者
内田篤人の名言。全74個。
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いつでも僕は自分の言葉で話すようにしている。語彙が多いほうではないかもしれないけれど、ありきたりで、上っ面だけの言葉では人には伝わらないし、相手に失礼だと思う。
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この前のケガのときはもっと痛くてもやった。じゃあ次も大丈夫かって、痛みに対する限界が広がっていけば、ケガに対して強くいられる。これは根性論でもあるかもしれないけれど、昔からそうやってきている。
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目標を周りに知らせることはないでしょ、っていうのが僕の考え。もちろん、そこに至るまでの苦労も見せる必要はない。毎日、地道に淡々とやって、結果だけを出しときゃいい。不言実行。それが一番カッコいいから。
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海外に行ってもみんなが成功するわけじゃない。でも、チャレンジしないことには何も始まらない。自分があれだけ悩んで決めたことだから、僕はこの道を進む。
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話す必要がないときであれば、他人と一緒にいても世間話はしない。相手に合わせて雑談はしないし、できない。そういうのは人に合わせているみたいで嫌だ。
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僕のことを理解してもらうのには、時間はかかるかもしれない。でも最後に、こいつは静かだけど、そんなに悪いヤツじゃない、意外とおもしろいヤツだって分かってもらえれば、それでいいんじゃないかな。
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理想は、どんな監督でもどんなサッカーでも、常に試合で使われる選手になること。そういう選手に近づけるように、いつも競争ということを意識して、サッカーに向き合っている。
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夢は必ずかなうという言葉も信じていない。夢は願えば必ずかなうものではない。成功している人は絶対に人がしないような努力をしている。
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僕はブログもツイッターもやらない。何を書いたらいいか分からないし、書きたいとも思わない。自分がなにげなく書いたことが誰かを傷つけるかもしれないから、僕は今後もピッチでのみ表現していく。
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悔いを残さないこと。「あと5メートル、全力で走ればチャンスになっていたのに」「あと1秒、集中していればピンチを防げたのに」という後悔のない90分間にする。
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僕は高校1年のとき、一度、夢をあきらめてしまったんです。普通に自分の夢を書けばよかったのに逃げてしまった。そんな自分が、ちょっと恥ずかしかったし、悔しかった。それが少しだけ心残りです。
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僕が評価や批判をするときには、僕なりの定義がある。それは"自分が経験したことがあること"についてなら、評価や批判をしてもいいというもの。
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皆さんには、夢を聞かれたとき、「僕の夢はこれです!」とか、「私の夢は○○です!」みたいに胸を張って言えるような人になってもらいたい。
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昔から「無事これ名馬」という言葉がある。これはサッカー選手にも当てはまる。ケガをしなければ、チームに迷惑を掛けない計算ができる選手となるし、競争の世界を勝ち抜くうえでも有利だ。
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基本的に本心を知られたくない。嬉しいときも、落ち込んでいるときも、それを人に感じられたくない。「元気ないね?」「何かあった?」と気遣われるのさえ、嫌だ。
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自分を曲げてまで、周りの人に好きになってもらいたいとは思わない。それで「感じが悪い」と嫌われることになっても、「はい、すいませんでした」って諦められる。
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尊敬する人の意見は聞く。尊敬する人というのは、自分に足りないものを持っている人で、満男さんや岩政さん、アッキーだったりする。そういう人たちから言われることには、耳を傾ける。
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成し遂げたときに「良かったですねー」「また、後輩の誰かが成し遂げますよー」とさらっと言いたい。それが僕の目指す人間像であり、男の美学だと思っている。
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僕にとって、好きな監督とは「僕を試合で使ってくれる」監督。これにつきる。選手は試合に出てなんぼだし、やっぱり試合に出られないと鬱憤がたまる。サッカーをすることが仕事だから、仕事をしていない感じがする。
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僕はプレッシャーを受けても安全なパスではなくて、逆に突破口を開くようなパスを狙っている。そうすると、相手の守備が崩れる。相手が前に守備に来ているから、そのパスが通れば、一気にチャンスになる。
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麻也は下僕ですから。召し使いですから。その辺にごみ捨てときゃ後で捨てといてくれるしソファーに座ってればご飯作ってくれる。
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嬉し涙は我慢できないものだと知った。自然にぽろぽろ落ちてくる。我慢しようとすればするほどこみ上げてくる。僕は何回でもあの涙を流したい。
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プレーしているのは自分。経験したことのない人たちに言われても、「経験がない人たちが想像で言っているんだ」というくらいにしか思わない。
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我慢して、我慢して、それでも勝ったという経験をしているかどうか。そういった成功体験を多くしていれば、チームとして我慢を貫ける。
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僕のサッカー人生はこのまま進んでもいいのかと考える時間が増えてきて、じゃあ、積みあげてきたものを全部取っ払うのも手じゃないかと思った。リセットボタンを押しちゃえって。
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シャルケには十カ国以上から選手が集まっているので、言葉でコミュニケーションを取るのは大変です。でも、そんなバラバラな人たちが一つのスポーツで競い合える、というのは、サッカーの醍醐味だと思います。
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相手との距離感や間合いを見ながら、タイミングを考えてプレーした。頭を使いながらね。精神的にキツいし、面倒くさいけど、それができないと勝てないから。
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選手から見れば、どういう形でもいいから、勝ちゃいいんだ。勝ちゃ、評価される。逆に勝たなければ評価もされない。サッカーってそういうものだと思う。
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見られる立場にあるから、いつも自分の見せ方というのは僕なりに考えている。僕のように世間に対する影響力がある仕事をしている者は、よく考えて発信しなければならない。
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僕が一番注目するのは、監督が怒ったとき。遠くにいても、ほかの選手のどんなパスに怒ったのか、どんな動きを注意したのかを知りたい。
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僕は敵サポーターからのブーイングやヤジを聞くと、むしろやる気が出るんです。敵からのブーイングはある意味、褒め言葉でもありますよね。
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サッカーは集団行動のスポーツですから。自分から仲間の中に飛び込んでいかなくてはならないから、人と仲良くなれる。僕も、子供の頃からサッカーを中心に友達が広がっていきました。
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ドイツでは、超・頑張らないとやっていけない。周囲からどう思われているかなとか、そんなことを考える余裕はない。うまくなりたいとかじゃなく、僕は勝ちたいから、欧州へ来たんだと思う。
内田篤人について
内田篤人は静岡県出身の元サッカー選手、サッカー解説者。現役時代のポジションは右サイドバック。日本代表で74試合出場、2得点。2010南アフリカワールドカップ、2014ブラジルワールドカップメンバー。サッカーの名門である清水東高等学校を卒業後、2006年に鹿島アントラーズに入団。鹿島アントラーズでは1年目からレギュラーとして活躍し4シーズンプレー。2008と2009年にはJリーグベストイレブンに選ばれ、2007-2009シーズンには3連覇も経験。2010年のシーズン途中にドイツの名門クラブであるシャルケに入団。内田篤人は主力として活躍し、UEFAチャンピオンズリーグでもプレーしたが、2015年3月に膝を怪我して手術。それ以降、シャルケでプレーすることはなく、2017年にウニオン・ベルリンに移籍するも1年で退団。2018年から鹿島アントラーズに復帰し、2シーズン半プレーした。