小池龍之介
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満たされないより満たされた方が幸せに決まっています。しかし、満たされたことで感じる快感も「苦」の情報を脳が書き換えて、快感スイッチを入れることで感じるバーチャルな感覚にすぎない。多くの人はそれを幸福感と錯覚しているのです。
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たとえば上司に理不尽に怒られてイライラしたときに、「この上司は、口ではもっともらしいことを言っているけれども、支配欲が満たされず不安だから怒っているのだな」と分析できれば、もう相手と同じ土俵にはいません。すっきりした気持ちになれるでしょう。
持っているお金が「少ない」「足りない」と思う理由としてはまず「欲しいものが買えない」ということが挙げられるでしょう。それは「欲しいものが多すぎる」せいかもしれず、「なぜそんなにも欲しくなるか」を、考えてみる必要があるかもしれません。
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現代では年収200万円で負け組と言われている人でさえ、その多くは貧窮しないで、昔の王様並みの生活ができます。ちょっとお金の使い方のバランスを変えれば、豪華な食事もできる。デジタルツールで瞬時に他人とつながることもできます。お金を出せばいくらでも自分の欲を満たせて脳内麻薬を生み出せる。歴史上、大半はそういう状況にない中で人間は自己形成されてきました。快感スイッチを連続入力するような現代の生活は、人間の生き物としての仕組みを壊してしまう気がします。
もらっている給料には、上司の価値観に自分を合わせて、上司に従う忍耐料が含まれていると考えてはいかがでしょうか。そうすれば、気休め程度かもしれませんが、自然とストレスに耐えやすくなるでしょう。
しょっちゅう携帯電話のメールチェックをしないと気が済まない人は、誰かとつながっていることを確認して快感を覚える、ある種の快感中毒といえます。携帯電話やパソコンで頻繁に情報にアクセスするのは、ドーパミンを連射しているようなもの。依存症やうつ病など精神的な疾患が増えているのは、そのあたりにも関連がありそうです。
人はつい、より高級なもの、言うなれば、分不相応なものに手を伸ばしてしまいます。たとえば住宅の場合、3000万円の家なら自己資金と無理のないローンで買えるのに、背伸びして4000万円の家を買ってしまう。その結果、ローンの支払いが苦しくなったりします。もちろん、4000万円の家のほうが設備が整っていたり、交通の便がよかったりということがあるでしょう。しかし、つい背仰びをしてしまう心の内では往々にして、そのも自体がどうしても欲しいというよりも、そうした高級なものを手に入れることで「自分のグレードを上げたい、自分の価値を高めたい」との欲望が働いている場合が多いのです。これもまた「慢」の煩悩のなせる業です。
一般的に、日々の生活で精神的に満たされていない人、自分の力を実感できない人ほど、その欠乏感や無力感を覆そうとして、買い物に走るケースが多いように見受けられます。こうした心のカラクリに気づけば、過度なローンを組んだり、買い物をしすぎたりといったことが、自戒できるようになるのではないでしょうか。
自分ができないことを認めて部下に補ってもらうのは、プライドが傷つくことです。でも、人にはいろいろな特性があって、自分にはできないこともあるのだと認めないと、自分とは違う発想や能力を持った人を活かせず、自分の欠点を補うこともできません。
セロトニンの神経回路を活性化するコツは、目的意識を持たないことです。目標を立ててそれに向かって突き進むと、「ああまだ達成できていない」という苦しみが、達成したときに緩和されて快感物質が発射される。これを避けるためには、ゴールに向かって走るという意識を捨てて、いま目の前で行っていることに意識を振り向けることが大切です。慣れていない人は、短い単位で同じことを反復する行為に集中することから始めましょう。
何か不幸な出来事、悲しい出来事が起きたときに、それが一本目の矢として心に突き刺さります。しかし、多くの人は降りかかった現実をもとにそれを脳内で編集し、後悔や不安を交えながら不幸や悲しみを増幅させてしまう。いわば自分の心に第二の矢を突き立てて、いつまでも気に病むのです。第一の矢と第二の矢を区別して、「あ、いま、自分の頭の中で編集している」と気づくと気持ちは静まってきます。
部下の「ここができていない」「ここが足りない」というところに目を向けるのではなく、部下の特性が活かせる仕事を与えたり、自分が足りないところを素直に補ってもらったりする。それが優秀な上司でしょう。
現代人、とくに男性は「仕事での成功や収入で、自分の価値を測る」という面が強くなりすぎて、休めない、ということも考えられます。「自分の業績アップ」=「自己価値のアップ」というわけで、自分の価値を高めたいがために、ほかのことすべてを後回しにしてでも業績を上げたいという気持ちにとらわれるのです。業績を上げるのは、受験勉強の点致稼ぎと似通っており、最初はつらく感じたとしても、やがて自分の価値が数値によってダイレクトに表されることが快感になってきます。だから、とらわれやすい。しかしながら、受験勉強だけをあまりに必死でやっていると、性格が歪んだりすることがあるのは、ご存じの通り。業績アップにかまけるのも同様です。
私たちの心の中には、多かれ少なかれ、自分が持っている価値観は絶対に正しいという思い込みのようなものがあるのです。たまたま自分が採用していて、自分にはそれが向いているという価値観にすぎないのに、誰にとっても当てはまる普遍的なものだと思いたがる。だから、自分と違う価値観を採用していたり、自分と違う優先順位を採用していたりする人がいるとイライラする。自分の正しさを否定されたような気持ちになってしまいます。
脳内の快楽物質は麻薬のようなものです。快感を連続して入力するということは、麻薬を絶えず脳内に分泌している状態なので中毒化します。言ってみれば、慣れが生じて同じ分量の快感物質では同じ気持ちよさを感じられなくなる。同じ気持ちよさを感じるためには、より大量の快感物質を必要とします。それができないと、現状維持をしているだけで前より状況が悪くなってはいないのに「自分は不幸だ」と感じるようになるのです。
体もですが心がきちんと安まると、また仕事にしっかり向き合えるようになります。そのためには、仕事のことを完全に忘れていられる時間をつくることが大変重要です。たとえ十分な休みがとれたとしても、休みの間に仕事のことや職場の嫌な人のことなどを考えていては、心は安まりません。休みの多少にかかわらず、どれくらい仕事のことから離れていられるかがポイントになります。
快感を得ることがすべて駄目と言うつもりは毛頭ありません。快感との付き合い方を考えるべきであり、快感を入力しない時間が必要だと思うのです。一時の快感で偽の幸福感を得て脳をいわばドーパミン漬けにしてきた現代人の支払うツケは、ドーパミンの効果が薄れて気持ちがそわそわしたり、イライラしたり。じつは苦しみのもとでしかないのです。
SNSで承認し合うことでしかつながらない友達とは、本当に大切な友達なのでしょうか?SNSに限らず「空気を読んで皆に合わせる」ことが辛いのは、「心にウソをついている」からです。そしてウソをついてまで守っているのが、じつはたいした人間関係ではないという虚しさです。
子育てにおいて親は、子供を叱ったり、口うるさくいったりするのは「子供のため」だと思っています。しかし、それは偽善であり、自分でも気づかないうちに「思い通りに育てたい」という支配欲にとらわれているのです。つまり「子供のため」ではなく、「自分のため、自分の力を実感するため」に叱ったりガミガミ言ったりの命令を下していることが大半だと思われます。子どもとの関係をよくするには、偽善の仮面の内側にある真の気持ち=「自分のため」を自覚すること。そうすれば、「こうしてほしい」「こうなってほしい」といった、子どもへの過剰な「期待」が薄れます。そして子どもには、「部屋が散らかっていると私が落ち着かないから、片づけてほしい」などと言うようにしたほうが、より伝わりやすいでしょう。
安らかな状態が継続的に維持できれば、「何々があったら幸福」ということではなく、何をやっていても幸福でいられると思います。
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