小池龍之介
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煩悩により「いい人」ぶって偽善者の仮面を被るのは、自分の心に害を及ぼすものです。自分の本心とは違う言動をすると、ふたつの矛盾した思考が無意識的に衝突し合います。これは多大なストレスの発生源となります。
概して現代人の消費は「ストレス解消のため」であることが多いように思われます。なかでも嗜好品の消費は、とくにストレス解消作用が大きいものです。たとえば、甘いものは精神をリラックスさせる働きがあり、お酒は神経を麻痺させます。なぜそうしたものが欲しくなるかというと、それだけ緊張している=ストレスがあるからです。
休むときには頭を切り替えることが、仕事のストレス解消になります。スポーツや登山など身体を動かすアクティビティは頭の切り替えに有効です。なお、甘いものやお酒を飲食するなとは申しませんが、癖になるのは問題です。仕事帰りの一杯がパターン化すると、お酒によるストレス発散の快感を味わいたいがため、無意識のうちに仕事のストレスを増やしたりもするのでご用心ください。
現代人は「目分のやりたいことができる立場になれ」とか、「会社の歯車になってはいけない」などと、洗脳されすぎているように感じます。出世できなくとも、会社の歯車になっても、それで平穏に生きるのが幸せな人もいるのです。自分の与えられた立場をまっとうすることが大事です。
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思うように貯金ができない理由は「使ってしまうから」でしょう。「給料が少ないから貯まらない」と思うのは錯覚で、給料が多くても、たくさん使ってしまったら貯まりません。まずは「自分がなぜお金を使ってしまうのか」を考える必要があります。人は自分の力を実感しようとしてお金を使うことが多いのです。自分の消費は常日頃の「無力感」によるストレスを忘れようとしてのものではないかと、心の内を探ってみましょう。
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この先、世の中がどのようになるのかわかりませんが、社会の経済事情や自分の収入など、その時々の状況に合わせて柔軟にやっていけば、何も問題はありません。もしもいまより貧乏になったら、そのぶん節約すればいいのです。生活水準は「絶対に下げられない」ものではありません。大切なのは柔軟性で、状況に自分の身の丈を合わせればいいのです。
人は、不安でビクビクしたり、堅張していたりすると、冷静な判断ができなかったり、能力を充分に発揮できなくなるものです。つまり不安を抱くことで、自分のパフォーマンスを落としてしまうことになってしまうのです。
相手のほうが間違っている証拠があっても追いつめない。
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「勤めている会社が倒産したり、リストラされたら嫌だ」と思う本質は、「損をしたくないという思い」と「過去の自分の正しさへの執着」です。ちなみにこの2つは社会的に成功した人ほど強く、成功者はこれまでのスキルや過去の自分に対するこだわりがとくに強いといえます。言い換えればプライドが高いわけで、それが邪魔をして成功者は概して打たれ弱く、失業したりするとなかなか立ち直れません。こうした本質を理解して、「そうか、それだから嫌なんだな」とわかれば、むやみに不安がることなく、たとえ転職することになっても、プライドに邪魔されたりせずに、前向きになれるでしょう。
子育てにおいて親は、子供を叱ったり、口うるさくいったりするのは「子供のため」だと思っています。しかし、それは偽善であり、自分でも気づかないうちに「思い通りに育てたい」という支配欲にとらわれているのです。つまり「子供のため」ではなく、「自分のため、自分の力を実感するため」に叱ったりガミガミ言ったりの命令を下していることが大半だと思われます。子どもとの関係をよくするには、偽善の仮面の内側にある真の気持ち=「自分のため」を自覚すること。そうすれば、「こうしてほしい」「こうなってほしい」といった、子どもへの過剰な「期待」が薄れます。そして子どもには、「部屋が散らかっていると私が落ち着かないから、片づけてほしい」などと言うようにしたほうが、より伝わりやすいでしょう。
謝るときは余計な言い訳を付け加えない。
人間も心身のメンテナンスをせずにこき使っていると、ダメになってしまいます。仕事最優先で、家族や友人あるいは自分一人で過ごす時間をないがしろにすれば、結果として、自己の再生産のための力が落ちていってしまうのです。
体もですが心がきちんと安まると、また仕事にしっかり向き合えるようになります。そのためには、仕事のことを完全に忘れていられる時間をつくることが大変重要です。たとえ十分な休みがとれたとしても、休みの間に仕事のことや職場の嫌な人のことなどを考えていては、心は安まりません。休みの多少にかかわらず、どれくらい仕事のことから離れていられるかがポイントになります。
歳をとるほどに体力が落ちていくのは事実です。それを不安に思うか、思わないか。実のところ、「思う」「思わない」の選択の余地があるのに、現代人はあたかも選択の余地がないかのように「体力が落ちる=不安」と思わされていることが、問題なのではないでしょうか。現代人は「若々しく元気でいることがよく、老いるのはよくない」という価値観を植え付けられ、洗脳されているように思われます。
悪意のない愚かさに怒っても疲れるだけ。
自分から進んで差し出す行為は、自分の心を元気にしますが、嫌だなと思いながら出す行為は、心を疲れさせてしまいます。
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「若々しく元気でいたい」との願望は、突き詰めれば「死にたくない」ということです。あらゆる生命体はいずれ死んでいきますが、「死にたくない、死ぬのは嫌だ」と思うほどに死がつらいものとなります。誰もが免れようのない老いや死を拒絶することは、老後の苦しみを増やすことになるのです。仏道の根本は、事実を事実として「受け容れること」ですが、年齢による衰えを受け容れ、老いを受け容れることは、この先の人生を穏やかにします。そうして老後が「安らか」になるという意味で「安心」といえるでしょう。
現代人、とくに男性は「仕事での成功や収入で、自分の価値を測る」という面が強くなりすぎて、休めない、ということも考えられます。「自分の業績アップ」=「自己価値のアップ」というわけで、自分の価値を高めたいがために、ほかのことすべてを後回しにしてでも業績を上げたいという気持ちにとらわれるのです。業績を上げるのは、受験勉強の点致稼ぎと似通っており、最初はつらく感じたとしても、やがて自分の価値が数値によってダイレクトに表されることが快感になってきます。だから、とらわれやすい。しかしながら、受験勉強だけをあまりに必死でやっていると、性格が歪んだりすることがあるのは、ご存じの通り。業績アップにかまけるのも同様です。
優しくされた相手に攻撃心を持ち続けることはできない。
「どういう状況でもなんとかなる」と、将来に向かってゆったりと心を開いていれば、人は強くなれます。貧乏になったらなったで生活を変えていけばいいんだと、現状に執着しない人のほうが、のびのびと能力を発揮できて、その結果、物事がうまくいくと考えられます。
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