小池龍之介
0
子育てにおいて親は、子供を叱ったり、口うるさくいったりするのは「子供のため」だと思っています。しかし、それは偽善であり、自分でも気づかないうちに「思い通りに育てたい」という支配欲にとらわれているのです。つまり「子供のため」ではなく、「自分のため、自分の力を実感するため」に叱ったりガミガミ言ったりの命令を下していることが大半だと思われます。子どもとの関係をよくするには、偽善の仮面の内側にある真の気持ち=「自分のため」を自覚すること。そうすれば、「こうしてほしい」「こうなってほしい」といった、子どもへの過剰な「期待」が薄れます。そして子どもには、「部屋が散らかっていると私が落ち着かないから、片づけてほしい」などと言うようにしたほうが、より伝わりやすいでしょう。
謝るときは余計な言い訳を付け加えない。
体もですが心がきちんと安まると、また仕事にしっかり向き合えるようになります。そのためには、仕事のことを完全に忘れていられる時間をつくることが大変重要です。たとえ十分な休みがとれたとしても、休みの間に仕事のことや職場の嫌な人のことなどを考えていては、心は安まりません。休みの多少にかかわらず、どれくらい仕事のことから離れていられるかがポイントになります。
脳内の快楽物質は麻薬のようなものです。快感を連続して入力するということは、麻薬を絶えず脳内に分泌している状態なので中毒化します。言ってみれば、慣れが生じて同じ分量の快感物質では同じ気持ちよさを感じられなくなる。同じ気持ちよさを感じるためには、より大量の快感物質を必要とします。それができないと、現状維持をしているだけで前より状況が悪くなってはいないのに「自分は不幸だ」と感じるようになるのです。
1
悪意のない愚かさに怒っても疲れるだけ。
安らかな状態が継続的に維持できれば、「何々があったら幸福」ということではなく、何をやっていても幸福でいられると思います。
現代人、とくに男性は「仕事での成功や収入で、自分の価値を測る」という面が強くなりすぎて、休めない、ということも考えられます。「自分の業績アップ」=「自己価値のアップ」というわけで、自分の価値を高めたいがために、ほかのことすべてを後回しにしてでも業績を上げたいという気持ちにとらわれるのです。業績を上げるのは、受験勉強の点致稼ぎと似通っており、最初はつらく感じたとしても、やがて自分の価値が数値によってダイレクトに表されることが快感になってきます。だから、とらわれやすい。しかしながら、受験勉強だけをあまりに必死でやっていると、性格が歪んだりすることがあるのは、ご存じの通り。業績アップにかまけるのも同様です。
本当の幸福とは何か。ブッダは「褒められても心が浮つくことなく、非難されても決して落ち込むことなく、心が平静でいられるのが幸せである」と言っています。心が波打つ苦しみから解放されて、穏やかに安らいでいる状態。それが万人に共通する最高の幸せだと言います。
何か不幸な出来事、悲しい出来事が起きたときに、それが一本目の矢として心に突き刺さります。しかし、多くの人は降りかかった現実をもとにそれを脳内で編集し、後悔や不安を交えながら不幸や悲しみを増幅させてしまう。いわば自分の心に第二の矢を突き立てて、いつまでも気に病むのです。第一の矢と第二の矢を区別して、「あ、いま、自分の頭の中で編集している」と気づくと気持ちは静まってきます。
優しくされた相手に攻撃心を持ち続けることはできない。
2
セロトニンの神経回路を活性化するコツは、目的意識を持たないことです。目標を立ててそれに向かって突き進むと、「ああまだ達成できていない」という苦しみが、達成したときに緩和されて快感物質が発射される。これを避けるためには、ゴールに向かって走るという意識を捨てて、いま目の前で行っていることに意識を振り向けることが大切です。慣れていない人は、短い単位で同じことを反復する行為に集中することから始めましょう。
一般的に、日々の生活で精神的に満たされていない人、自分の力を実感できない人ほど、その欠乏感や無力感を覆そうとして、買い物に走るケースが多いように見受けられます。こうした心のカラクリに気づけば、過度なローンを組んだり、買い物をしすぎたりといったことが、自戒できるようになるのではないでしょうか。
煩悩により「いい人」ぶって偽善者の仮面を被るのは、自分の心に害を及ぼすものです。自分の本心とは違う言動をすると、ふたつの矛盾した思考が無意識的に衝突し合います。これは多大なストレスの発生源となります。
しょっちゅう携帯電話のメールチェックをしないと気が済まない人は、誰かとつながっていることを確認して快感を覚える、ある種の快感中毒といえます。携帯電話やパソコンで頻繁に情報にアクセスするのは、ドーパミンを連射しているようなもの。依存症やうつ病など精神的な疾患が増えているのは、そのあたりにも関連がありそうです。
人はつい、より高級なもの、言うなれば、分不相応なものに手を伸ばしてしまいます。たとえば住宅の場合、3000万円の家なら自己資金と無理のないローンで買えるのに、背伸びして4000万円の家を買ってしまう。その結果、ローンの支払いが苦しくなったりします。もちろん、4000万円の家のほうが設備が整っていたり、交通の便がよかったりということがあるでしょう。しかし、つい背仰びをしてしまう心の内では往々にして、そのも自体がどうしても欲しいというよりも、そうした高級なものを手に入れることで「自分のグレードを上げたい、自分の価値を高めたい」との欲望が働いている場合が多いのです。これもまた「慢」の煩悩のなせる業です。
現代人は「目分のやりたいことができる立場になれ」とか、「会社の歯車になってはいけない」などと、洗脳されすぎているように感じます。出世できなくとも、会社の歯車になっても、それで平穏に生きるのが幸せな人もいるのです。自分の与えられた立場をまっとうすることが大事です。
4
現代では年収200万円で負け組と言われている人でさえ、その多くは貧窮しないで、昔の王様並みの生活ができます。ちょっとお金の使い方のバランスを変えれば、豪華な食事もできる。デジタルツールで瞬時に他人とつながることもできます。お金を出せばいくらでも自分の欲を満たせて脳内麻薬を生み出せる。歴史上、大半はそういう状況にない中で人間は自己形成されてきました。快感スイッチを連続入力するような現代の生活は、人間の生き物としての仕組みを壊してしまう気がします。
持っているお金が「少ない」「足りない」と思う理由としてはまず「欲しいものが買えない」ということが挙げられるでしょう。それは「欲しいものが多すぎる」せいかもしれず、「なぜそんなにも欲しくなるか」を、考えてみる必要があるかもしれません。
人は、不安でビクビクしたり、堅張していたりすると、冷静な判断ができなかったり、能力を充分に発揮できなくなるものです。つまり不安を抱くことで、自分のパフォーマンスを落としてしまうことになってしまうのです。
人間も心身のメンテナンスをせずにこき使っていると、ダメになってしまいます。仕事最優先で、家族や友人あるいは自分一人で過ごす時間をないがしろにすれば、結果として、自己の再生産のための力が落ちていってしまうのです。
小池龍之介のすべての名言