小池龍之介
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歳をとるほどに体力が落ちていくのは事実です。それを不安に思うか、思わないか。実のところ、「思う」「思わない」の選択の余地があるのに、現代人はあたかも選択の余地がないかのように「体力が落ちる=不安」と思わされていることが、問題なのではないでしょうか。現代人は「若々しく元気でいることがよく、老いるのはよくない」という価値観を植え付けられ、洗脳されているように思われます。
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仏教には「無我」という言葉があります。自我なんてものは人間の脳が作り出したフィクションで、そもそも存在しない、と。自我がないからこそ、比較することで、自我という幻を作ろうとするのです。つまり人と自分を比較して妬ましい、羨ましいなどと感じても、それは「私という存在」が抱いた感情ではなく、安定したい脳のシステムが作動しただけ。だから、負の感情に振り回されず、単なる脳の反応なんて「放ったらかし」にするのが正解。
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「どういう状況でもなんとかなる」と、将来に向かってゆったりと心を開いていれば、人は強くなれます。貧乏になったらなったで生活を変えていけばいいんだと、現状に執着しない人のほうが、のびのびと能力を発揮できて、その結果、物事がうまくいくと考えられます。
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人間も心身のメンテナンスをせずにこき使っていると、ダメになってしまいます。仕事最優先で、家族や友人あるいは自分一人で過ごす時間をないがしろにすれば、結果として、自己の再生産のための力が落ちていってしまうのです。
「勤めている会社が倒産したり、リストラされたら嫌だ」と思う本質は、「損をしたくないという思い」と「過去の自分の正しさへの執着」です。ちなみにこの2つは社会的に成功した人ほど強く、成功者はこれまでのスキルや過去の自分に対するこだわりがとくに強いといえます。言い換えればプライドが高いわけで、それが邪魔をして成功者は概して打たれ弱く、失業したりするとなかなか立ち直れません。こうした本質を理解して、「そうか、それだから嫌なんだな」とわかれば、むやみに不安がることなく、たとえ転職することになっても、プライドに邪魔されたりせずに、前向きになれるでしょう。
瞑想は座禅を組んで、呼吸を整えることだけでもできます。私がオススメする簡単瞑想法は「小さなおっさん瞑想法」です。脳の中に、あなたとは別の「小さなおっさん」が住んでいると思ってください。普段は静かだけど、彼はたまに酔っ払いのように現れる。そして「俺はアイツと比べたらダメ人間だ」と誰かと自分を比べたり、「若手はなっていない」とイライラをグチったりします。ここで同調してはいけません。「へー、そっか~」「ふーん」と目の前でグチるおっさんを、適当にいなすイメージを持つのです。グチる小さなおっさん、つまり「脳内で勝手におしゃべりする感情」につき合って「そうだよ」「本当だよ」と同調すると、妬みや怒りの感情にとらわれます。酔っ払いにつき合うと、図に乗り、ますますタチが悪くなるのと同じ。だから、あくまでも軽く受け流してやる。すると、かまってもらえない酔っぱらいが自然と黙ってしまうのと同じように、負の感情も、いつの間にか静まるのです。これこそ座禅瞑想の極意です。
人は、不安でビクビクしたり、堅張していたりすると、冷静な判断ができなかったり、能力を充分に発揮できなくなるものです。つまり不安を抱くことで、自分のパフォーマンスを落としてしまうことになってしまうのです。
未来の不安にとらわれるのは無駄なこと。それよりも今やるべきことに意識を集中するのが有益です。
この先、世の中がどのようになるのかわかりませんが、社会の経済事情や自分の収入など、その時々の状況に合わせて柔軟にやっていけば、何も問題はありません。もしもいまより貧乏になったら、そのぶん節約すればいいのです。生活水準は「絶対に下げられない」ものではありません。大切なのは柔軟性で、状況に自分の身の丈を合わせればいいのです。
現代人は「目分のやりたいことができる立場になれ」とか、「会社の歯車になってはいけない」などと、洗脳されすぎているように感じます。出世できなくとも、会社の歯車になっても、それで平穏に生きるのが幸せな人もいるのです。自分の与えられた立場をまっとうすることが大事です。
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たとえば、会社である企画を提案し、それについて議論が行われたとしましょう。企画と自分とは別次元のもの。企画が通ったとしてもそれはあくまで企画が認められたのであって、自分が認められたということではありません。逆に、企画が通らなくても、自分が否定されたと落ち込む必要もないのです。
休むときには頭を切り替えることが、仕事のストレス解消になります。スポーツや登山など身体を動かすアクティビティは頭の切り替えに有効です。なお、甘いものやお酒を飲食するなとは申しませんが、癖になるのは問題です。仕事帰りの一杯がパターン化すると、お酒によるストレス発散の快感を味わいたいがため、無意識のうちに仕事のストレスを増やしたりもするのでご用心ください。
欲望や怒りそのものを乗り越えるためにはまず、「自分が」「自分の」「自分に」「自分を」という自我を乗り越える必要があります。
煩悩により「いい人」ぶって偽善者の仮面を被るのは、自分の心に害を及ぼすものです。自分の本心とは違う言動をすると、ふたつの矛盾した思考が無意識的に衝突し合います。これは多大なストレスの発生源となります。
仏教的に申しますと、「欲望」は「苦しみ」から生じます。ストレスは心に苦痛を与えるもの。一方、欲望はそれを抱いたときにも満たしたときにも、心に大きな刺激を与えます。ゆえにストレスがたまると、その苦痛を紛らわそうとして、刺激をくれる欲望がわいてくるのです。つまりストレスが大きくなればなるほど、欲望が増大することになります。
私たちにとって、心と言葉や行動が一致していることは重要なこと。そこに矛盾があると心が混乱し、筋道だった考え方ができなくなり、記憶力や判断力が衰えていきます。それはとても疲れることで、ここで新たな怒りが生まれてしまう。そこでまた、ストレスを抱え込むというわけです。
本当の幸福とは何か。ブッダは「褒められても心が浮つくことなく、非難されても決して落ち込むことなく、心が平静でいられるのが幸せである」と言っています。心が波打つ苦しみから解放されて、穏やかに安らいでいる状態。それが万人に共通する最高の幸せだと言います。
概して現代人の消費は「ストレス解消のため」であることが多いように思われます。なかでも嗜好品の消費は、とくにストレス解消作用が大きいものです。たとえば、甘いものは精神をリラックスさせる働きがあり、お酒は神経を麻痺させます。なぜそうしたものが欲しくなるかというと、それだけ緊張している=ストレスがあるからです。
相手のほうが間違っている証拠があっても追いつめない。
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案外、本音で話しても、本当の友達は離れないもの。
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