デビッド・ベッカム
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ぼくが子供たちに教える立場に立つとしたら、プレーの楽しさとスキルを身につける楽しさを一番に据えるつもりだ。
練習があってこそ、胸躍るようなスペクタクルゴールは生まれる。
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人々が、ぼくの左足が弱いだとかヘディングがもっと強くならなくちゃ、と言っているのは知っている。でもそれは、あまり練習しないからでもなければ、自分でもへただと思っているわけでもない。左足だって使えるが、より強い右足を使うほうがずっと理に適っているというだけのことだ。
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戦争とサッカーは別物だ。ボクが考えているのは、親を失った子供、子供を失った親のことだ。そのような人たちの力になってあげたいと思う。サッカーの試合に勝つことで彼らに微笑みを与えることができるのであれば、ぜひともそうしたいと思うよ。
ぼくが望んだことのすべて、それはフットボールを蹴ることだった。それ以外のことは頭になかった。
昔からユナイテッドでは誰ひとりとして持ち上げられすぎることはない。ビッグプレーヤーがオールド・トラッフォードを次々に去っても、クラブは続いていく。それが宿命だ。カントナ、インス、シュマイケル、ヒューズ、そしてロブソンが別れを告げた後も、チームはさらなる成功を目指す。彼らは今もオールド・トラッフォードの敬意を集め愛されているが、クラブはいつまでもこだわってはいられない。成長するにつれてそれを知るにつけ、ぼくにもいずれ同じ運命が待ち受けているのがわかる。くよくよはしない。前を向いて進むだけだ。それも過去何年間もの間に築かれた成功の理由の一端なのだ。
人生において勝利を得る方法はいろいろとある。しかし、苦労を伴わずしてそれを得ることはできない。
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何かを必死でやりたいと思えば、道は開けていくものだ。
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教室にはあまりいたくなかった。いい教育を受けるのは大事なことだとわかっていても、頭の中にはフットボールしかなかった。
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ぼくがロングシュートを決めると、よく人々はまぐれだと言うが、それは違う。ぼくは小さい頃からロングシュートを撃つ練習をしてきた。
サッカーは世界を1つにするよね。本当の意味でのワールド・スポーツだ。
フリーキックでぼくが用いる鞭を打つような動作は、ずっと練習してきたことだ。生まれながらの能力だとは思っているが、それでももっとうまくできるようにハードな練習を欠かさない。このテクニックが得意なデニス・アーウィンとアレッサンドロ・デル・ピエロもきっと同じだと確信している。
欧州を去ったことに悔いはないし、フットボールをサッカーと呼ぶことに抵抗もない。僕には、新しい挑戦が必要だったから。
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ぼくは水曜日の夜、日曜リーグのフットボールチームと練習するのがそれはそれは大好きだった。一度、母と父が何かの罰として練習に行かせてくれなかったことがあった。もう死にそうな気分だった。あれほど厳しい罰は後にも先にもなかった。
僕の秘密は、練習だ。もし何か人生で特別なことを実現したければ、ひたすら頑張って、頑張って、そして、もっと頑張ることだというのが、僕の昔からの信念だ。
マドリードの街も、レアルも大好きさ。子供たちにはマドリードで教育を受けさせたいと思っているんだ。そのために、現役引退後も数年間はここで生活するつもりだよ。
学校時代、毎日ぼくは家に帰るとすぐに近くの公園、チェイス・レインに行って夜の十一時までそこにいた。たったひとりでも何時間でもプレーしていたものだ。母はいつもぼくがどこにいるかわかっていたのでそれを歓迎した。そうした練習の積み重ねがマンチェスター・ユナイテッドのファーストチームに入るために必要なんだと信じていた。そして今もその哲学はまったく変わっていない。
ぼくは練習の中身を毎日変えるのが好きだ。ちょっと退屈すると裸足でフリーキックの練習をしてみたりする。もっと若い頃にはよく裸足でボールを蹴っていたもので、これはボールの感触を確かめるのに役立つ。ユーロ2000の間、練習中のぼくのそんな姿を見た代表チームのフィジオは気に入らなかったと思う。でもそれはぼくがずっとやり慣れてきたことなのだ。
サッカーよりも家族が大切。
ファギーは僕が今までプロになって仕事をした最高のコーチだ。ええと、まあ実際彼以外のコーチと仕事をしたことは無いんだけど。
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