黒田博樹
0
こんなろころでやっていけるのかと思うほど、1年目のキャンプは困ったことだらけでした。何もかもすべてでした。でも僕らは無理やりここに連れて来られたわけじゃない。自分で決めてここに来たんです。
1
1試合1試合の積み重ねですから。信頼されるためにはね。
ヤンキースというチームに来て、あれだけの契約をしてもらいましたから、どうしても全部勝たなきゃいけない、という感覚になっていました。マラソンでいえばスタートしたてのまだまだ先が長いなか、ピッチが上がっていかないというのは相当しんどかったです。
3
日本に帰るならカープ。
「試合を壊してしまえば、一切の信頼を失ってしまう」という危機感は常に持っている。
母親からもらった最も大切な信条ー信念を貫き通す。
どこまで出来るか分からないですけど、それなりの覚悟を持って日本に帰るわけです。アメリカでマウンドに上がるのも、日本でマウンドに上がるのも大変な事には変わりはないですし、それなりの気持ちでマウンドに上がりたいと思います。
もしかしたらいつまでも野球を好きになれないのかもしれない。いや、好きだから続けているのかもしれない。子供のころからやっているので、宿命のように感じている部分もありますし、でも一方で何度か野球を辞めるタイミングがあったのに辞めなかったということは、好きなのかもしれない。
仕事ですからね、野球は。
カープで優勝することが、自分のこれからの野球人生の中で高いモチベーションになるんじゃないかな?というのが一番だったと思います。
日本で、そしてカープで野球をすることの方が「一球の重み」を感じられるのではないかなと自分自身で判断しました。
結果がよければ、よくやったと褒めてもらえますけど、悪ければボロかすに叩かれますからね、この街は。覚悟してやっていますよ。
4
アテネオリンピックの時に先発ではなくセットアッパーだったから今の僕がある。
自分は粘り強くない。目の前の目標にこだわる。
メジャーでは、「常に100%の状態でマウンドに上がれることはない」と自分に言い聞かせてました。100%を求めると、もしそうでないとき、技術面もメンタル面もどんどんネガティブになる。基本、中4日のローテーションで回れたのは、切り替えができたから。開き直って投げるということを、勉強させてもらったかな。
マウンドに上がるのは怖くて怖くて仕方ない。
小学校から中学校までは親父が監督をするチームでプレーしていたんですけど、とにかくグラウンドに行くのが楽しみで仕方なかった。ただ、それ以降は地獄でしたけどね。だからこそ、今もあまり楽しんだらいけないと思っているのかもしれないですね。苦しまないといい仕事ができない、というか。
自分の力を信じるのはいい。周囲の評価を謙虚に受け入れる事も重要。
プライベートな事柄をマウンドに持ち込むことは許されない。
今思えば、上宮は相当レベルが高かったんでしょうね。高校生活が3年間で本当によかった。でも、しんどいことでも、それを乗り越えられればその先に何かあるということがわかったし、だからこそ、きつかった経験をネガティブに捉えるのはもう止めようと思えるようになりました。
黒田博樹のすべての名言