黒田博樹
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僕は高校時代補欠だった。それでも考え方、生き方を変えれば創造を超えた場所でプレイできる。
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教えることはそんなにない。とにかくストライク先行でいけ。
ドジャースと契約が切れた時、CARPに戻ろうと一度は決断した。
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自分がおかしいと思ったら首を振れ。
カープに来たことを正解にする。
食事も普通なら登板前日は炭水化物をとる、栄養バランスを考える、となるけど、アメリカでは日本食レストランがないところもある。「これを食べないといけない」って考えたらストレスの一つになってくる。日本に帰ってきてからの食事は外食と、弁当をつくってもらって取りにいくという感じ。ニューヨークでも3年間、そういう生活だった。だから、サバイバル力というか、そういうものは身についてますね。
結果も毎年良くなっているので、アメリカのやり方を信じてトライしたのも僕にとっては良かった。
メジャーではいつも、通訳の人に「次の登板のその先のことは僕の耳に入れないでくれ」と言ってました。自分は次の登板で頭がいっぱいで、その先のことを言われると頭がパンクしてしまうので。
カープへの復帰はプロフェッショナルとしてワンランク上にいけると思った。
アメリカン・リーグの東地区の球場はヒッターズ・パークばかりだったので、そういう部分ではメジャーの方が大変でしたし、もともと僕がいたカープは広島市民球場でしたから。あの狭い球場を経験しているので、そういう意味では、広島のマツダスタジアムができて広くなったというのは、自分にとっては大きいんじゃないかなと思っています。
苦しまずして栄光なし。
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ヤンキースでは8、9月になったら登板間にもブルペンに入らないほうがいいとコーチに勧められました。日本では怖くて、そんな調整はなかなかできませんでしたけど、そういう考え方もあるんだと、これも勉強させてもらいました。
いつまで体が続くかわからないですけど、体が続く限り、チームのために投げていきたいと思っています。
野球の楽しさを教えて欲しい。
アメリカに来たのでアメリカの野球を受け入れないと、自分のことも受け入れてもらえないと思った。こっちに来た以上はこっちのやり方も自分でトライしてみないと。そういう姿勢というのは、みんなに伝わると思う。アメリカの野球をしに来たので、調整法であれ、トレーニングであれ、一度受け入れることは大事。
大学に入っていたら、そういう気持ちも無く、そこで潰れていたかもしれない。だから、人生の節目ってあるんですよ。
広島という環境が僕を育ててくれた。
メジャーのマウンドは高いし、硬いんで、体重を目いっぱい、前に乗せられる感覚があったんです。でも、こっちはちょっと軟らかい感じですね。特に沖縄の土はやわらかいので、踏み出した左足がしっかり噛んでくれない。体重をめいっぱい乗せたとき、ちょっとブレてしまうんです。そこは修正しないといけないなと思っています。
怠けたくはない。登板するたびに自分を完全燃焼させたい。期待に応えられない時の怖さを維持したい。
現時点で僕は、野球人生がいつ終わっても、もう悔いはないと思っています。最後がどういう形になるのか、今はまだまったく想像がつきませんけど、メジャーでやらせてもらって、またこうやって広島へ帰ってくるという機会も与えてもらって、もう、いつ終わってもいいと思っているのは確かです。
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