最後は選手自身ですから。指導者にできることなどたかがしれているのです。
宇津木妙子
宇津木妙子のその他の名言
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日立高崎の監督には1986年に就任しました。引退して実家の埼玉県に帰り、母校や全日本ジュニアのコーチをしていた時、遠征先で、当時の工場長さんから「チームを見てくれないか」と声をかけられたんです。
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麗華は本当は打ちたくなかったって。でも、打ってしまった。塁上にいる麗華に守備してる中国の後輩たちが非難の言葉を浴びせたみたいですね。複雑な気持ちだった筈です。
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いま教えている実業団のOGが、ときどき子供を見せに来てくれるのですが、教え子たちの成長をみるたびに「指導者を続けてきてよかった」と思います。
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それから、指導者になった教え子が苦労しているのを見ると、その気持ちがよく理解できるだけに、その子には申し訳ないけど、それもまた微笑ましい気持ちになります。