宇津木妙子の名言
元ソフトボール日本代表監督
宇津木妙子の名言。全102個。
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必ずできると信じる心、絶対にやりとげるという強い意志、それがなければそもそも戦いの場に立つことは許されないと私は考えている。
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よかったねえ。おとうさんやおかあさんがなぜ、叱っているかわかるか。みんなのことを思っているから叱るんだ。みんなに伸びてもらいたいから叱るんだよ。
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人と人は真っ正面から向き合うことが何より大切だが、物事は真っ正面から見るだけでは見ることのできないところがある。斜めにしてみたり、ひっくり返してみたり……そうして答えが見つかることもある。
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日立高崎の監督には1986年に就任しました。引退して実家の埼玉県に帰り、母校や全日本ジュニアのコーチをしていた時、遠征先で、当時の工場長さんから「チームを見てくれないか」と声をかけられたんです。
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ユニチカでも多くの経験をして、つらいこともたくさん味わいました。でも、働くこと、給料をいただくことはこういうことだと身をもって学ばせてもらった。だからこそ、父の言葉がよく理解できました。
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私自身の考え方も大きく変わりました。夫という第三者がそばにいると、相手がどう考えるだろうかと思いを巡らせるようになり、今までと違うものの見方ができるようになります。
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世間では強烈な「鬼監督」のようにも言われていますが、実際はそうでもないのです。選手からは「緊張するけれど話しやすい」とよく言われますよ。
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相手チームの子にもアドバイスしますよ。次の日、いいピッチングすると嬉しいですね。「敵なのに」というような意識は全くありません。人に興味がある、人が好きなのでしょうね。
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レギュラー以外の選手を見れば、そのチームがどんな状態なのかが分かります。どのチームの監督も、そこまでは見えていないことが多いのではないでしょうか。
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チーム作りというのは土台がしっかりしてこそ。選手たちに基本をしっかりと教えて、一人の人として育てていきたいという希望があります。
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野村克也さんの人間教育によるチーム作りも勉強になりますが、私はユニチカに在籍していたせいか、大松博文監督の「俺について来い」の方が好きですね。シドニーの時にはそのやり方を取りました。
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それから、指導者になった教え子が苦労しているのを見ると、その気持ちがよく理解できるだけに、その子には申し訳ないけど、それもまた微笑ましい気持ちになります。
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逆に、監督と選手のパイプ役になれるので、いいコーチにはなれるのですが……。選手の声を聞きすぎる、甘えさせすぎる、監督としての威厳がない。日本には、飴と鞭、このさじ加減がへたな人が多いですね。
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アスリートのトレーニング環境はどんどん整えられていますが、私は「指導者の指導」が急務だと思っています。もっと真剣に考えなくてはいけません。
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今の日本のスポーツ界は、派閥とか縦社会でもがいている指導者が、とりあえずそのポジションに据えられているところがあります。企業もそうでしょう。
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人選を間違えると組織が、チームがあらぬ方向に向かってしまう。イエスマンは扱いやすいでしょうけど、耳の痛いことでも進言していくのが指導者の仕事なわけで、上はそれをどう活かすかが大切なのです。
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インターネットが発達し、いまや選手の方が最新情報を持っていることがあり、指導者が甘くみられることもあります。ですから、トレーニングにしても、選手に考えさせることが必要です。
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自分の形を崩さなくてもよいのですが、世の中もスポーツの世界も変わっているのです。もっと頭を柔軟にして、どう選手たちと向き合うかを考えなければなりません。
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どこか変わっている人。ひたすらまじめにやってきた人。適材適所、色々な人がいて良いのです。チームがつらいとき、ちょっと変わった子がいると乗り切れることがあります。
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麗華は本当は打ちたくなかったって。でも、打ってしまった。塁上にいる麗華に守備してる中国の後輩たちが非難の言葉を浴びせたみたいですね。複雑な気持ちだった筈です。
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ノックする自分が潰れるか、選手が潰れるか、という限界までくると、雑なプレーにならず、むしろ力がぬけて無駄のない理想的なグラブさばきになります。
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選手はほとんど、自分の性格を知っていた。だから、絶対服従。なぜなら、私の言うことを聞いたら勝てるから。いくら一人一人が強くても、チームとして強くなくてはならない。
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なぜ、厳しい監督と言われたかというと、選手のことがかわいくてしょうがなかったんだ。なんとか成長させてあげたかった。でも、むやみには叱らないよ。できる力があるのに、いい加減にやったりしたら叱ったものだ。
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親にだって言うよ。子どもを叱ってあげてよって。子どもがダメな時は、見て見ぬふりじゃなく、ちゃんと向き合ってしからなくちゃ。
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結婚で変わりました。自覚はありませんでしたが、選手たちから「優しくなった」と言われたり、逆に「自分たちのことはもう思ってくれないのではないか」と心配されたりしました。
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確かにそれまでは、四六時中、食事からお風呂までずっと選手と一緒に過ごしていたのですが、結婚後は、練習が終わるとすぐに帰宅するようになりました。「取られたような気がした」とも言われました。
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選手とのやりとりは「はい、はい」と一方通行になりがちですから、夫に「そうじゃないよ」と言われてハッとさせられることも多かったです。
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シドニー五輪の時でしたから、夫とそんなに一緒にいたわけではないのですが、冷静に物事を考える機会が多くなり、選手の考えや行動の理由が今まで以上に分かるようになってきました。
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とはいえ、選手との関係性が大きく変わったわけではありません。今も昔も、選手たちは私に本音で言いたいことをぶつけてきます。
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選手に交換日記のようなノートを書かせていたのですが、先輩の悪口も含めて、本当にさまざまなことを率直に、正直に書いてきてくれましたよ。
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選手はみなかわいいです。中には「優秀な子は好きだが、ちょっと変わっている子は苦手」という指導者もいますが、私にそういうことはありません。自分自身がちょっと変わっている方でしたから。
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特に、中国から連れてきた麗華については、彼女の心境、国籍の違いからくる苦労などがありますから大きな責任を感じています。自分にできることは何か、常に考えています。
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控え選手はくさってしまいがちですが、そういう子だって活かし方次第です。「ベンチで試合を盛り上げろ」と、彼女たちの役割を認めれば、一生懸命に声を枯らしてくれます。
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私が認めれば、彼女たちは私を信頼し、何でも私に言ってくれるようになります。私自身が認められない子だったので、その気持ちがよく分かります。
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いま大学のチームを指導していますがとても勉強になりますよ。すぐにばれるような、子供みたいな嘘をつく子がいますが、それはSOSの訴えなのですね。指導者はそれに気付かなければいけません。
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私はレギュラー以外の選手が好きですね。あきらめずにコツコツと根気よく、選手人生を終えていくような、そんな選手が好きです。
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いま教えている実業団のOGが、ときどき子供を見せに来てくれるのですが、教え子たちの成長をみるたびに「指導者を続けてきてよかった」と思います。
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もちろん、指導に関する悩みを打ち明けられればアドバイスしますが、結局最後は「自分」ですから。それを見守るのもまた「指導」なのではないでしょうか。
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指導者に向かないのは一線を引けない子ですね。言い訳して、最後まで責任が持てない。そういう子にはハッキリと「向いていないからやめろ」と言います。