福原愛
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飲み物をつくったり雑用は好きなんです。力もありますから。
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もし40歳になっても相手がいなかったら、お見合いしようかと思う。
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時計の針が1周するほど、限界を超えるまで練習しました。
小学校二年生のとき、大阪の小学校に転入したんですけど、そのときのトレーナーさんが、日本語は完璧だったのに、毎日、繰り返し繰り返し中国語をしゃべってくれました。
全然中国語が話せなかったときに、北京でカードを買ったんです。絵が描いてあって、中国語の発音が日本語で書かれているんです。一枚目が「電風扇」で、二枚目は「電冰箱」で、確か三枚目は「天安門」でした。それで中国語を覚えたんです。
同じ思いをしたくないということと、気持ちで負けたくないという思いをぶつけました。
私はこのメダルを取るのに20年かかりました。20年かかっても、諦めないでコツコツと目の前のことを頑張れば、夢は叶うんだなっていうことが今回わかりました。私達も1日とか2日でこうなれたわけじゃないですし、諦めないで頑張ってほしいです。
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こんなにやったんだからという自信。
実際に試合の応援をして、そこで初めて、「オリンピックってこういう場所なんだ」と…。
そのころは、中国語を覚えたいと思ったわけではないんですけど、自然に覚えて行ったのです。半年くらいで耳から覚えて、話ができるようになったと思います。
本当に良かったです。足を引っ張ってばっかりで。みんなに感謝してます。おとといも負けてしまって、何度も何度も思い出しては後悔してっていうきのうときょうだった。絶対に死ぬ気で勝ちにいきました。もちろんすごく良い試合もあったけど、悔しい試合もそれと同じぐらいあった。とても、本当に苦しい、苦しいオリンピックでした。
初めて覚えたのは、「電風扇」でした。
弱いところがあっても、練習すればそれを克服できる。だから練習が好き。
7歳なのですごく漠然とした夢でしたが、「いつかここで試合がしたいな」って思うことができて、いい経験をさせていただいたんです。
そーですね。だいたいは大丈夫ですけど。でもやっぱり、書いたり、読んだりするのは、しゃべるようにはできないんです。
また日本語では、一つの言葉なのに、中国の卓球界ではもっと細かく分かれているという場合もあります。
例えば「グワー」という言葉。球にドライブをかけてゆるやかな弧を描くボールのことなんです。
実現する夢しか言わないんですよ。夢は叶えるものだから。
まずオリンピックに出ることができたということだけでうれしくなってしまって…もちろんメダルを獲得したいって思ったんですが、実際にメダルとの距離をすごく感じた大会でした。メダルを獲るのは本当に難しいんだと、実感しました。
ホテルに泊まって、お風呂につかったとき、上がろうと思って、こうやって取っ手をつかんだら、取っ手ごと取れちゃったんです。それでびっくりしました。
福原愛のすべての名言