松任谷由実
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心のスイッチを入れるだけなの。本当に気の持ちようひとつで、周りの風景なんてどうにでもなってしまう。たとえばジョギングしているときに、走っていることさえ忘れてしまうような一瞬がありますよね?そういうときは木々の緑がいつもと全然、違って見える。
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これはずうっとは続かないって、一目瞭然、わかった。でもね、別に否定するつもりはないの。バブル時代はすごく良い体験ができた時期だったし、楽しくもあったし。でも、もってあと4,5年だろうという感じも、わかってしまったんです。
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昔、「太陽がいっぱい」という映画のサウンドトラックを聴いているとチリチリッって、地中海の暑さとかけだるい感じ、海の匂いを感じたんですよ、子どもながらに。それと同じことを歌でやろうとしているのだと思う、私は。
音楽が時代に果たす役割?私にはわからない。今を生きぬくことで見えて来るもの、感じることそれを私は音楽にしてゆくだけ。14歳の時の想いを変わらず持ち続けるため、変化を恐れず、私は歌をうたってゆくだけ。
「シャンソン」という曲は高校生の頃にかじった純粋詩の世界を後から思い出しました。ジャック・プレヴェールの「夜のパリ」っていう詩が、そこに描かれてない物語を一瞬にして自分に運んできたんです。今まで接してきたものが、しかるべき時に出てくるんですね。
デビュー当時、嶋田クンという」丘サーファー」がマネージャーをしてくれてて、成城のミスタードーナツで仲間とたむろしてました。その頃すごく雰囲気のある場所だった。一時ジョギングの折返し点になってましたが、マンちゃんがDIETをはじめてから足が遠のいたみたい。
音楽だと、時代の最先端の傾向を知りつつ、自分の方向性とすりあわせて中庸を維持する姿勢が取れるし、取るべきだと思っている。本業だからね。でもファッションは趣味だから、いくらでも冒険できるんです。遊べるし、遊ぶのが大好きなんですよ。
モンゴルの平原で、虹が4つくらいいっぺんにかかっていた風景かな。そんなの当たり前なんですって、360度見渡す限りプレーンな大平原だから。あと、はるか向こうにほんの小さな雨雲があったのが、近づいてきたらすごい広範囲で、しかも土砂降りだったり。
もしもそういう増幅回路みたいなものがあるとしたら、それが感受性だと思っているの。映画を観てて、あっと思ったら涙がこぼれてたり、ケガをして血がでたら、あっ血がでてる、ってびっくりしたりすることがあるでしょう。そういうこと、大切にしたい。
選ばなかったから失うのだ。
暮れかかる都会の空を想い出はさすらってゆくの「あの日にかえりたい」発売から40年です。
充実する時間を待ってるんじゃなくて充実を作ろうとした人に充実がくるという感じがしますよ。手をこまぬいて待っていても一生のうちに2回や3回は自然の波はくると思いますけど。充実ってことはすごくおいしい食べ物みたいなものだからそれを味わうために節制とか経験も必要。
何もいわずに、何もきかずにうけとめてくれてありがとう。
40代後半で気が付いたの。人間て、年齢を重ねるとどんどん個性が煮詰まるんです。自分のクセが見えてきたら、ちょっと外してみるのもいいかもしれない。私はそれに気付いてからずっと自分にフェイントかけまくってきたから、そうね、いまだに自分が何者か、よくわからない。
不安です。自分の中に詞を書くための情報、題材がたまっているんだろうかって。いつインプットしたのか自分でも覚えていないものが年月をかけて醸造されて出てくるんじゃないかな。
ファッションに関しては」着たがり」だし、服は経験、だと思っているので、とりあえずエッジィなものでも袖を通してみようと思いますね。たとえ失敗しても、恥をかいても、それもまた経験になるから。無駄にならないから。
日常の束の間を置き去りにして最後のトンネルを抜けると、暮れゆく夕方の雪山をバックに苗場プリンスホテルが浮かび上がるように現れる。それはまるで宇宙ステイション。カクテルライトを乱反射させて輝くその姿は、ここでしか見られない不思議な風景。
人生のある一時期、目標のために自分を律するという経験を持てた人は素晴らしい。
お洒落でリッチな人間はもっと精神的な所に行くと思いますね。物を持ってるだけで自分のステータスを示せるような幻想からはとっくに離れてる。お金やものに限度があるけどイマジネーションに限度はないから自分の中でバランスのとれたゴージャスというのをやっていきたい。
30代まっただ中のときは何も悩んでなかった。とにかく馬車馬だったから。でも90年代半ば、40の声を聞くか聞かないかのあたりでいきなり、」このままこのレールに乗って行くのだろうか?」っていう疑問が生まれた。
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