松任谷由実
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「シャンソン」という曲は高校生の頃にかじった純粋詩の世界を後から思い出しました。ジャック・プレヴェールの「夜のパリ」っていう詩が、そこに描かれてない物語を一瞬にして自分に運んできたんです。今まで接してきたものが、しかるべき時に出てくるんですね。
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デビュー当時、嶋田クンという」丘サーファー」がマネージャーをしてくれてて、成城のミスタードーナツで仲間とたむろしてました。その頃すごく雰囲気のある場所だった。一時ジョギングの折返し点になってましたが、マンちゃんがDIETをはじめてから足が遠のいたみたい。
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ラブソングは人に伝えやすいから、どうしても恋愛をテーマにすることが多くなるんです。でも乱暴に言えば、恋は、どうでもいい。それより、心やものが移ろいゆく刹那を、温度とか匂いとか風の音とか、そういう形で表現しているんだと思う。
もしもそういう増幅回路みたいなものがあるとしたら、それが感受性だと思っているの。映画を観てて、あっと思ったら涙がこぼれてたり、ケガをして血がでたら、あっ血がでてる、ってびっくりしたりすることがあるでしょう。そういうこと、大切にしたい。
これはずうっとは続かないって、一目瞭然、わかった。でもね、別に否定するつもりはないの。バブル時代はすごく良い体験ができた時期だったし、楽しくもあったし。でも、もってあと4,5年だろうという感じも、わかってしまったんです。
選ばなかったから失うのだ。
暮れかかる都会の空を想い出はさすらってゆくの「あの日にかえりたい」発売から40年です。
逗子と言うと「エスター・ウィリアムズ」をイメージしているところがあって。水中から出た時にキラキラ~!って光る演出はやろうとした。もう一つイメージするのは「エルテ」の絵ですね。アールデコな感じが好きだから。
昔、「太陽がいっぱい」という映画のサウンドトラックを聴いているとチリチリッって、地中海の暑さとかけだるい感じ、海の匂いを感じたんですよ、子どもながらに。それと同じことを歌でやろうとしているのだと思う、私は。
何もいわずに、何もきかずにうけとめてくれてありがとう。
モンゴルの平原で、虹が4つくらいいっぺんにかかっていた風景かな。そんなの当たり前なんですって、360度見渡す限りプレーンな大平原だから。あと、はるか向こうにほんの小さな雨雲があったのが、近づいてきたらすごい広範囲で、しかも土砂降りだったり。
ファッションに関しては」着たがり」だし、服は経験、だと思っているので、とりあえずエッジィなものでも袖を通してみようと思いますね。たとえ失敗しても、恥をかいても、それもまた経験になるから。無駄にならないから。
どうして、そんなにお金かけるの?と、同業者からよく聞かれます。ワンステージごと、自ら本気で楽しみながら自分の中で、白星にしていく事が、来てくださった方々へわたしからの最大の感謝の意です。
人生のある一時期、目標のために自分を律するという経験を持てた人は素晴らしい。
お洒落でリッチな人間はもっと精神的な所に行くと思いますね。物を持ってるだけで自分のステータスを示せるような幻想からはとっくに離れてる。お金やものに限度があるけどイマジネーションに限度はないから自分の中でバランスのとれたゴージャスというのをやっていきたい。
40代後半で気が付いたの。人間て、年齢を重ねるとどんどん個性が煮詰まるんです。自分のクセが見えてきたら、ちょっと外してみるのもいいかもしれない。私はそれに気付いてからずっと自分にフェイントかけまくってきたから、そうね、いまだに自分が何者か、よくわからない。
人は変わり続けるからこそ、変わらずにいられるのだ。
一回目は前売り券もなく、ステージもないところに台を置いて、客席には座布団。ゲレンデ側の大きなガラス窓をホリゾントにして、ある曲で開けると灯りで染まった雪が見えるようにしていたら、事情を知らないおじさんというか、「おっさん」がガラス越しにのぞいていたことがあった。
私自身がひとつのジャンルなんですよね。だから、追われる気分もなければ、そういう領域にないのね。自分で基礎工事して作った広いトラックを自分が走っているようなものだから、追うとか追われるとかの話じゃないのね。
日常の束の間を置き去りにして最後のトンネルを抜けると、暮れゆく夕方の雪山をバックに苗場プリンスホテルが浮かび上がるように現れる。それはまるで宇宙ステイション。カクテルライトを乱反射させて輝くその姿は、ここでしか見られない不思議な風景。
松任谷由実のすべての名言