松任谷由実
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充実する時間を待ってるんじゃなくて充実を作ろうとした人に充実がくるという感じがしますよ。手をこまぬいて待っていても一生のうちに2回や3回は自然の波はくると思いますけど。充実ってことはすごくおいしい食べ物みたいなものだからそれを味わうために節制とか経験も必要。
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何もいわずに、何もきかずにうけとめてくれてありがとう。
音楽だと、時代の最先端の傾向を知りつつ、自分の方向性とすりあわせて中庸を維持する姿勢が取れるし、取るべきだと思っている。本業だからね。でもファッションは趣味だから、いくらでも冒険できるんです。遊べるし、遊ぶのが大好きなんですよ。
ファッションに関しては」着たがり」だし、服は経験、だと思っているので、とりあえずエッジィなものでも袖を通してみようと思いますね。たとえ失敗しても、恥をかいても、それもまた経験になるから。無駄にならないから。
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もしもそういう増幅回路みたいなものがあるとしたら、それが感受性だと思っているの。映画を観てて、あっと思ったら涙がこぼれてたり、ケガをして血がでたら、あっ血がでてる、ってびっくりしたりすることがあるでしょう。そういうこと、大切にしたい。
人生のある一時期、目標のために自分を律するという経験を持てた人は素晴らしい。
お洒落でリッチな人間はもっと精神的な所に行くと思いますね。物を持ってるだけで自分のステータスを示せるような幻想からはとっくに離れてる。お金やものに限度があるけどイマジネーションに限度はないから自分の中でバランスのとれたゴージャスというのをやっていきたい。
音楽が時代に果たす役割?私にはわからない。今を生きぬくことで見えて来るもの、感じることそれを私は音楽にしてゆくだけ。14歳の時の想いを変わらず持ち続けるため、変化を恐れず、私は歌をうたってゆくだけ。
人は変わり続けるからこそ、変わらずにいられるのだ。
デビュー当時、嶋田クンという」丘サーファー」がマネージャーをしてくれてて、成城のミスタードーナツで仲間とたむろしてました。その頃すごく雰囲気のある場所だった。一時ジョギングの折返し点になってましたが、マンちゃんがDIETをはじめてから足が遠のいたみたい。
ラブソングは人に伝えやすいから、どうしても恋愛をテーマにすることが多くなるんです。でも乱暴に言えば、恋は、どうでもいい。それより、心やものが移ろいゆく刹那を、温度とか匂いとか風の音とか、そういう形で表現しているんだと思う。
これはずうっとは続かないって、一目瞭然、わかった。でもね、別に否定するつもりはないの。バブル時代はすごく良い体験ができた時期だったし、楽しくもあったし。でも、もってあと4,5年だろうという感じも、わかってしまったんです。
雑誌よりライブ感あるよね。仙台で見るファッションと、広島や博多は違う。
逗子と言うと「エスター・ウィリアムズ」をイメージしているところがあって。水中から出た時にキラキラ~!って光る演出はやろうとした。もう一つイメージするのは「エルテ」の絵ですね。アールデコな感じが好きだから。
昔、「太陽がいっぱい」という映画のサウンドトラックを聴いているとチリチリッって、地中海の暑さとかけだるい感じ、海の匂いを感じたんですよ、子どもながらに。それと同じことを歌でやろうとしているのだと思う、私は。
舞台で歌うこと自体が恥ずかしくてしょうがなかったから、もう見世物にしちゃえと思って。ヴォーカルもごまかせるし。青年館のコンサートでは自転車に乗ってステージに出て来たんだけど、色気を出して客席に愛想を振りまいたものだから走るルートを間違えてギタリストが並べているエフェクターを全部踏んじゃって、つなぎ直している間の三曲くらいはギターの音が全然出なかった。
翌朝、窓を開けると、すぐ目の前から大西洋がだーっと広がっていて、そばを通る船の櫓の音と投網の音がして、それがすごくいいの。最高だった。
モンゴルの平原で、虹が4つくらいいっぺんにかかっていた風景かな。そんなの当たり前なんですって、360度見渡す限りプレーンな大平原だから。あと、はるか向こうにほんの小さな雨雲があったのが、近づいてきたらすごい広範囲で、しかも土砂降りだったり。
初めての街を歩くのも、面白いです。その土地を嗅いだり、色を見たりすると、その街のことがよくわかるから。途中、その街で一番センスが良い若い子たちがいそうなエリアを嗅ぎつけて、カフェでぼうっとしてたりね。今までもツアーの途中で、ずいぶんあちこち歩きました。
どうして、そんなにお金かけるの?と、同業者からよく聞かれます。ワンステージごと、自ら本気で楽しみながら自分の中で、白星にしていく事が、来てくださった方々へわたしからの最大の感謝の意です。
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