松任谷由実
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脳がそのペースで回転していたから、フル回転してると電磁石に吸い付いてくるようにアイデアもばんばん浮かんでくるんです。
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人は変わり続けるからこそ、変わらずにいられるのだ。
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不安です。自分の中に詞を書くための情報、題材がたまっているんだろうかって。いつインプットしたのか自分でも覚えていないものが年月をかけて醸造されて出てくるんじゃないかな。
ファッションに関しては」着たがり」だし、服は経験、だと思っているので、とりあえずエッジィなものでも袖を通してみようと思いますね。たとえ失敗しても、恥をかいても、それもまた経験になるから。無駄にならないから。
雑誌よりライブ感あるよね。仙台で見るファッションと、広島や博多は違う。
暮れかかる都会の空を想い出はさすらってゆくの「あの日にかえりたい」発売から40年です。
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充実する時間を待ってるんじゃなくて充実を作ろうとした人に充実がくるという感じがしますよ。手をこまぬいて待っていても一生のうちに2回や3回は自然の波はくると思いますけど。充実ってことはすごくおいしい食べ物みたいなものだからそれを味わうために節制とか経験も必要。
舞台で歌うこと自体が恥ずかしくてしょうがなかったから、もう見世物にしちゃえと思って。ヴォーカルもごまかせるし。青年館のコンサートでは自転車に乗ってステージに出て来たんだけど、色気を出して客席に愛想を振りまいたものだから走るルートを間違えてギタリストが並べているエフェクターを全部踏んじゃって、つなぎ直している間の三曲くらいはギターの音が全然出なかった。
翌朝、窓を開けると、すぐ目の前から大西洋がだーっと広がっていて、そばを通る船の櫓の音と投網の音がして、それがすごくいいの。最高だった。
音楽だと、時代の最先端の傾向を知りつつ、自分の方向性とすりあわせて中庸を維持する姿勢が取れるし、取るべきだと思っている。本業だからね。でもファッションは趣味だから、いくらでも冒険できるんです。遊べるし、遊ぶのが大好きなんですよ。
初めての街を歩くのも、面白いです。その土地を嗅いだり、色を見たりすると、その街のことがよくわかるから。途中、その街で一番センスが良い若い子たちがいそうなエリアを嗅ぎつけて、カフェでぼうっとしてたりね。今までもツアーの途中で、ずいぶんあちこち歩きました。
もしもそういう増幅回路みたいなものがあるとしたら、それが感受性だと思っているの。映画を観てて、あっと思ったら涙がこぼれてたり、ケガをして血がでたら、あっ血がでてる、ってびっくりしたりすることがあるでしょう。そういうこと、大切にしたい。
コスプレですよね。ピンクレディの三年先を行ってた。
音楽が時代に果たす役割?私にはわからない。今を生きぬくことで見えて来るもの、感じることそれを私は音楽にしてゆくだけ。14歳の時の想いを変わらず持ち続けるため、変化を恐れず、私は歌をうたってゆくだけ。
私、恋愛経験が少ないから分からない、心霊体験の方が多いかも、アハハハハハ。
当時の日本のショービズの現場には、演歌で使うような赤と緑のライトくらいしか存在しなかった。だからあの時期、すごく怒っていたような気がする。自分がやらないと何も伝わらないし、何も動かなかったから。やりたいことを実現するには、怒らないと何も始まらなかったから。
デビュー当時、嶋田クンという」丘サーファー」がマネージャーをしてくれてて、成城のミスタードーナツで仲間とたむろしてました。その頃すごく雰囲気のある場所だった。一時ジョギングの折返し点になってましたが、マンちゃんがDIETをはじめてから足が遠のいたみたい。
ラブソングは人に伝えやすいから、どうしても恋愛をテーマにすることが多くなるんです。でも乱暴に言えば、恋は、どうでもいい。それより、心やものが移ろいゆく刹那を、温度とか匂いとか風の音とか、そういう形で表現しているんだと思う。
私のライブ会場のおトイレは知る人ぞ知る「発展場」ですから。
これはずうっとは続かないって、一目瞭然、わかった。でもね、別に否定するつもりはないの。バブル時代はすごく良い体験ができた時期だったし、楽しくもあったし。でも、もってあと4,5年だろうという感じも、わかってしまったんです。
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