北方謙三
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いまも休みなく書き続けているんですよ。もっともっと自分を磨こうと。俺にもし美徳というものがあるとすれば、勤勉さだけはあるんじゃないかな。それは勤勉に小説を書けるということだけで、ほかは全然ダメなんだけど、人間は勤勉なものが一つだけあればいい。
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いまは、若い人だけではなく、30過ぎ、40代の人までが、人から方法諭を聞こうとするでしょう?そういうやつのことも、俺は「インターネット頭」って言ってるんだけど、知識だけを集めたって、自分の方法論にはならないんですから。
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接しないで、ただ遠くから眺めているばかりだと、20歳といったら自分の20歳のときしか思い浮かばないじゃないですか。音楽でもなんでも、いまの20歳と少しでも接していれば、自分のときとどこが違い、どこが重なり合うかがわかってくる。
いまの音楽は、サウンドはすごくいい。ところが、歌詞は全然なっていない。「君がもし、僕のそばでいっしょに夕日を眺めてくれたなら、僕は一生、なにもいらない」とか。やたら説明的。「サウンドは素晴らしいのに、歌詞をつけたら、なぜこんなにつまんなくなるんだ!」と延々文句を言っているんで、下北界隈では「ロックンロール・ジジイ」なんて言われているよ。
40歳になったら、少なくとも「人の言うことは聞くな」と言いたい。「人に相談せずに、自分で考え、自分で決めろ」と。誰がなんといおうと、懸命に自分を生きているかなんです、本物の男になれるかどうかなんていうのは。
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最近たまに、下北沢のライブハウスへ行って、若いロックバンドの演奏を聴いたりしてるんですよ。明日にでも20歳の青年を主人公にした小説を書かなきゃいけないかもしれないじゃないですか。肉体的には20歳になれなくても、青年たちが創るものには接することができる。だから、若者がやってるNPOのパンフレットなんかにも目を通すようにしてるんです。音楽だけじゃなく、若いやつの芝居も観たりして。
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世の中の事象に目をこらし、見えるものを頭に入力しておく。そして、頭の中に醸成されたものを言葉に置き換えていく。だから、ぼんやりとしか見えなければ、頭へのインプットもままならない。
何時間も何時間も書きあぐねている自分がいる。そんなときは、居合抜きをするんです。まわりに家がない別荘に行ってね。巻き藁として、畳表を竹に巻いたものを、目の前に立てる。その巻き藁が自分に見える瞬間がある。そのときにスパッと斬るんだ。「もういままでの自分はない!」という風に。それまでの自分を断ち切って新しくする。居合抜きのあとシャワーを浴び、机に向かってみる。なにか出そうだ。でも結局、書きあぐねている自分がいたりするんだけど。
傑作というのは、無数の駄作のなかから生まれてくるもの。だから、どんどん書く。作品数が少なくて、「5年に1作だけ傑作を書く」なんていっても、それが傑作じゃなかったら、その5年間がムダじゃないですか。その間に50冊書いてたら、そのなかから傑作が生まれたかもしれない。傑作と決めるのは自分じゃないんですから。
先が見えない下積み時代だったが、ずっと「真実を見よう」とする意志は持ち続けていた。見たかったのは、小説の真実。いい小説とは何か、という問いへの答え。「自分の原稿が受け入れてもらえないのは、観念的すぎるからだろうか。では、観念を取り除いたら真実が見えるかもしれない」。そう考え、模索の上に見えてきたのは「小説は描写である」ということだった。
水滸伝を書こうとしたのは、人が志を持って生きるとはどういうことなのかに尽きる。とはいえ、そもそも志とはいったい何なのか。果たして人間の幸不幸を志で測ることができるものなのか。僕自身も書きながら、答えを探している。
いまは、ピポパってスマホの時代じゃない?誰も彼も「インターネット頭」になってしまって、答えだけを知ろうとする。感じることなく、ただ調べるだけで。最近の編集者も、すぐにピポパで調べ、疑うことをしない。1時間に3回スマホを使ったやつは即座に「死ね!」って言ってやるね。実際、ネットなんてのは間違った答えもいっぱいある。だから、僕が言ったことをちゃんとペンでメモに書き出してね、「次までに調べてきます!」というやつは信用できるし、優秀な編集者になっていきますよ。
僕の志は、125歳まで生きて、小説を書き続けることだ。書きたいテーマを数え上げて、年を取って書ける枚数が減ってくることも計算に入れると、その年齢まで生きなければいけないとわかった。でもそれは無理だから、毎回「この一作で125歳までの仕事をしたな」と思える充実感のある作品を書きたいと机に向かっている。
小説は面白くなきゃいけない。
まだ傑作を書き上げたなんて夢にも思ったことはない。もしそう思ったら、僕は小説家をやめてしまうだろう。
若い頃は未来なんてまるで見えていなかった。大学時代に純文学で作家デビューしたものの、その後の10年は書いても書いてもボツ。編集者には「才能がない」と言われ、周囲からは「人生を棒に振ってる」と言われた。大企業に就職した友人からは、「おまえはエライ!」と肩を叩かれた。が、そのエライという言葉の中にあるのは、蔑みと哀れみだった。それでも「俺はただの石だが、磨けばいつかは光る」という一途な思いと青春特有の熱量で書き続けた。やっと作家になれたのは、自分の背丈を超えるボツ原稿の山を築いたときだった。
本屋の平台の上ではベテラン作家だろうが20歳の新人作家だろうが、誰もが平等。まだまだ、若いやつらに負けるわけにはいかない。駆け出しの頃のように、生き残るためには書き続けるしかないと、いまも思っている。
仕事というのは、ただ給料をもらうんじゃなくて、その人の生き方そのものだ。仕事を生きることそのものだと思い定めることができたら、いろんなことが見えてきて、生きることは何なのかということもわかってくるはず。
生きる喜びっていうのは、自分の楽しみと仕事をどうリンクさせるか、そのことにつきるんじゃないですか?そのどちらか一方が欠けても、充実した人生は送れないと思う。
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「ルーティンな仕事はしない」とか、「上司にへつらうことはもうやめる」と覚悟するだけで、自分だけの方法論ができていく。
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