小林喜光
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東芝は社長の任期が4年だが、辞めた後が長い。相談役などの名誉職で残るから。ああいうのはよくないね。社長、会長の任期が終わったら、とっとと会社を去るべきです。
営業系の幹部には「経営にはアートの部分がある」と言われましたが、「経営はサイエンス」です。勘と度胸の経営だけでは不十分で、定量化の経営に挑戦しなければなりません。とくに海外では勘と度胸だけでは意思疎通が図れない。
私は常に、原理原則で考えていきたい。
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いまは、グループの総勢3万900人に向けてイントラネットで月数回、文章を載せています。そのときも、「あなたたちはこの会社で何のために働いているのか」「この会社に何のために存在しているのか」をどう問いかければいいかに腐心しています。いまのような厳しい時代ならなおのこと、魂の入ったキャッチコピーを頭の中でつくる技術が必要です。
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企業だけで閉じた研究開発はもう古い。強い部分は閉じ、弱い部分はみんなで協力して早く進める「オープン&クローズ戦略」が必要。
よく「歴史から学ぶ」っていいますけど、僕は歴史書はほとんど読みません。歴史は錆びついたものとしか思わないから。歴史を振り返るとそれに左右されて、時代を読む感性が研ぎ澄まされなくなる部分があるんじゃないかなと。
私は会議では思ったことを率直に遠慮なく発言するようにしています。激しい指摘も怒りの言葉もズバズバ口にします。CEOとしては会議を通して理念や指針を示し、意識の共有化を図ることも大切です。そのためにも、遠慮なく私の思いを伝えるようにしているのです。
景気が「気」であるように、事業というのも「気」。
社長業の7割は、人事じゃないのかな。少なくとも私は、いつも人事のことが頭から離れない。
私は偶然に自分が生まれたということが悔しくて仕方がない人間です。望んで生まれてきたのではないということは、神か、自然の法則かはわかりませんが、何者かによって自分の人生がコントロールされていることを意味します。にもかかわらず、人間には生きる目的すらわからない。これが悔しいのです。この悔しさゆえに、私はこの世で徹底的に自分の思負うことを試してやろう、徹底的に自己を打ち出して死ぬまで暴れてやろうと思うのです。
新規事業というものをやめてしまえば、企業も成長は終わり。
私がこの時代に求める社員像とは、目の前の存在に対する情緒的な優しさを持った「羊のような人間」ではなく、怒りの感情と同時に、論理的思考に根ざしたグローバルな愛、ジェネラルな愛にあふれあ「あぶないやつ」なのです。
会長にも相談していません。「やめておけ」と言われるのはわかっていましたから。
いま当社は生き残るために崖っぷち感覚を持って、変わらなければならない時期です。上の方の人間が変わらない限り、全体は変わりません。ぬるま湯に浸かっているカエルは徐々に水温が上がっても感じないで、気づいたときには茹でガエルになってしまいます。そうなってはならないのです。「会社を変えるのだ」というメッセージをこめて、私は社長室にカエルを飼っています。
価値観や文化が異なる中で「自分さえ良ければ」という風潮があるからこそ、お互い、どこかで「最適ポイント」を見つけることが必要。ですから、「落としどころを見つける」いった日本流の生き方で、世界に貢献できる可能性はある。
私は20代でイスラエルのヘブライ大学に留学し、その後も何度も訪問していますが、イスラエルから学ぶことは多くあります。ユダヤ人は不可抗力で世界中に散らばってしまったため、世界各地で戦った一人ひとりがゼロであることを認識し、イスラエルに戻ってきます。そこから多くのリーダーが出て、世界で最もベンチャー企業を生み出す国の一つになりました。中国人の華僑、インド人の印僑から世界的なリーダーが生まれているように、日本人も外に出て世界でもまれる「和僑」の中からリーダーが出てくるかもしれません。
なにがあってもやるんだ。やらなきゃ潰れるんだよ。
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私は会議に関しては根回し不要論者です。論理に裏付けされた結果があればOKです。
我々は勝たなければいけない。勝つためには利益をあげなければならない。これは当然の基本。
私はこれまでの会社生活の中で、やりたくないことにはNOを言い続け、やりたいことには手を挙げ続けてきました。なぜそれができたかと言えば、捨てることができるからです。そして、捨てられない男はダメな男だと私は思っています。
小林喜光のすべての名言