自分は成功を獲得するために舞台に上がるのではなく、舞台上の鮮やかな衣裳やイメージが好きなわけでもなく、なぜ舞台に上がるのかと言うと、観客の皆さんの前で演じる時の自我を忘れる感覚を求めてのことなのです。もし常に自分が出て来るなら駄目です。
坂東玉三郎
坂東玉三郎のその他の名言
-
本当の核心は無意識の中にあるというか、言葉にするとゆがみが出ると思います。だから、ある意味では、話をするのがめんどうくさい、というところがあるようです。
-
所作だけを最小限やるような稽古と、没入して振り切れてしまったような稽古を両方やっておいて、その中間のところにさっと降りて、本番の舞台をやるのです。
-
雷も恐くて、雷が鳴ると家の中は恐いから外へ出たいという。外に出ると鳴っているので家へ入るという。雷の鳴っている間中、それをやっていたらしいです。
-
一人の俳優であり、何らかの大物でも芸術家でもなく、芸術の完璧さの追求には終りがなく、最大の成功は、公演が終わって大きな幕が降りた瞬間、場内の観客の顔に満足の表情が見える時です。
-
自分の作品とか批評、写真に対して割と客観的なんですね。だからすごくさめているんですけど、時には自慢ぐらいしなくては生きていかれないと、自分でほめたりしてるんです。
-
作ってる方は考え抜いているんだけど、使っている方はその工夫に気づかなかったり、ふとその妙に気づいたりするもの。例えば、絹のくずで作ったごしごしタオルとか。
-
公には言いませんけど、個人的に、友達とするんですね、「自慢させてね」と前置きして言って、合槌を打ってもらうんです。実際、自分で良いと錯覚するくらい、うまい合槌を打ってくれる人がいい。
-
両親は、とにかくぼくが無事に暮らしていけばそれだけでいいと思っていたし、ぼくも無事にしていればいいんだなと考えていたので、何かひとつの仕事をしよう、ということは本当に考えなかったです。
-
6歳の時に踊りを始めて、弟子入りして、7歳になって本舞台がありました。子供だからなすがまま、というか、おだてられるがまま。