教えてくださる時に、「私は女優としてこう演っているけれど、先輩の女形さんたちはこうとこうとこれがあるから好きなのを選んでどうともなさい」とおっしゃる。「喜多村先生はこうなさった、花柳先生はこうなさった」とおっしゃってね、「あなたのくふうでなさいよ」と言いながら教えるときはきちんと教えてくださいました。
坂東玉三郎
坂東玉三郎のその他の名言
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私は東京育ちだから、ネオンがないと不安という感じだったけどこの歳になると、「闇が闇でないと嫌だ」と思うようになります。東京の必要以上の明るさは不自然だし、不健全。
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家の人には聴かせますけど。子供の頃からそうなんですね、身内には「もういい」っていうまで、やってみせるんです。「悲愴」の第二楽章もやさしいから、よく弾きます。歌うのも大好きです。
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初めは良重さんのお母さま。大先生でしたけれど、ぼくは共演するようになってからは他人というイメージがあまりなくて……。新派の女形の芸を女優の芸に翻訳なさった方で、素晴らしい方です。
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きれいに立ち直るというのはすごく力がいる。醜く落ちていったものを次の幕でもう一度きれいに再生するのは、すごくたいへんです、精神的にも、肉体的にも。
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「熊谷陣屋」なんですけれど、相模の入りから通して演ったんです。あの暑い夏の京都で。それまであんまり忙しかったこともあって、ぼく、ノイローゼ気味になりました。
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バイエルを終わってすぐに、「月光」をやったんです、ベートーヴェンの「月光」。めちゃくちゃというか、冒涜というか、楽しみでやってますから、そこらへんの腕で止まっているんですけど。
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稽古だといって出かけては、内緒で映画や外国からきた公演とかを見に行ったりしてたんですね。それまで父が厳しくてぎゅうぎゅうやられてましたから。
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世の中の大勢と脚並みを揃えられない場合には、世の中じゃないものになるしかないじゃないですか。自分が違うものになって自由なところに脚をおろす。
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芸の力でいいお三輪はこれからも出来るかもしれないけれど、その時のお三輪の花は今日一日で終わる、ということじゃないかと思っています。思いがけずほめていただいて励みになりました。
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テレビで商社マンの教育をマンツーマンでやるのを見たことがありますけど、ああいう感じです。もう今はやりたくないと思います。こう言われたらこう言う、ああならば、ああするとか、きっちり教えてくれるんです。