むずかしかったのは凄みを出すというところです。「凄み」と「がんばる」というのは違う。「ふけてはいけない」というのと「軽くなる」のは違う。「病気のけだるさ」と「恨みの辛さ」も違う。結局、ぼくはまだ若いですから声を安易に使うと軽くなる。それがむずかしいのです。
坂東玉三郎
坂東玉三郎のその他の名言
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家の人には聴かせますけど。子供の頃からそうなんですね、身内には「もういい」っていうまで、やってみせるんです。「悲愴」の第二楽章もやさしいから、よく弾きます。歌うのも大好きです。
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初めは良重さんのお母さま。大先生でしたけれど、ぼくは共演するようになってからは他人というイメージがあまりなくて……。新派の女形の芸を女優の芸に翻訳なさった方で、素晴らしい方です。
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「熊谷陣屋」なんですけれど、相模の入りから通して演ったんです。あの暑い夏の京都で。それまであんまり忙しかったこともあって、ぼく、ノイローゼ気味になりました。
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バイエルを終わってすぐに、「月光」をやったんです、ベートーヴェンの「月光」。めちゃくちゃというか、冒涜というか、楽しみでやってますから、そこらへんの腕で止まっているんですけど。
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きれいに立ち直るというのはすごく力がいる。醜く落ちていったものを次の幕でもう一度きれいに再生するのは、すごくたいへんです、精神的にも、肉体的にも。
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世の中の大勢と脚並みを揃えられない場合には、世の中じゃないものになるしかないじゃないですか。自分が違うものになって自由なところに脚をおろす。
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芸の力でいいお三輪はこれからも出来るかもしれないけれど、その時のお三輪の花は今日一日で終わる、ということじゃないかと思っています。思いがけずほめていただいて励みになりました。
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見る側のために伝承がある、けっして演る側の楽しみじゃなく、いかに内容をはっきりわからせ、奥深く見せるかのための伝承を大切にしていきたいと思いました。
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若草座というのは父が若い頃やっていた会で、それを復活したわけです。青年歌舞伎祭というものがありまして、△△会とか、会を作って参加する催しだった。若草座は2回もしていないんじゃないかな。