萩本欽一
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コント55号が売れて、5年ほどたち、30歳になったのをきっかけに、僕は1年間、これまでの活動を反省することにしました。有名になりたいっていう夢は実現したけれども、期待していたほど面白くはなく、ここで修正しないとまずいと思い、コント55号の活動も休止しました。そして、テレビで誰もやっていないことにも挑戦したいと思っていたら、僕が何よりやりたくないと思っていた番組の司会を頼まれた。その一つが、「スター誕生!」。ここでは、男女二人組の司会というスタイルを持ち込み、以後、これが主流になっていったんだから、これも一つの運なのでしょうね。
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笑いで一番難しいのを裏っていうんです。
僕は「石の上にも5年」と考えて耐えました。なぜって、我慢こそが「運」を呼び込むからです。
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いま70代になってわかったのは、行く手が二つに分かれていることです。一方の道は人生でそれなりに成功し、そのご褒美に別荘を建てて、のんびりと余生を過ごす「老人」。片方は、自分がじいさんだとは思わない「年寄り」なんです。僕は老人にはなりません。やっぱり年寄りです。だって、こっちは「年が寄って」きたら、身をかわせばいいから。それで僕はいま大学に通っているわけです。
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台詞よりも、まず、動きを先行させる。
偉人伝、読んでごらん。最初の8割はずっと失敗しているだろう。でも、最後の2割で賞を取って、成功していく。みんなそっちばかりを覚えていて、前半忘れちゃうんだよ。
新しいことをすると必ず失敗する。それがいいんです。
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自分の欠点を突かれてニコニコしていられるってのはいいボケができるってこと。
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笑いで一番最初に覚えるのは"逆"ってこと。
必然性がないと笑えない。
幸せとは形じゃない。幸せとは気分だと思っている。
人間関係に悩んでいる人、いじめられている人にも、大きな運が来る。それに、人を見る目が育つというおまけもついてきちゃう。臆病でいつも夢想ばかりしている人に、運の神様はやさしいんです。
コント55号時代、「坂上二郎は芸があるので残るだろうが、萩本欽一は芸がないので残らないだろう」って活字に書かれたことがショックでね。そうか、僕には芸がないのか、それなら一人でなにかやるときは「芸」とは関係ないもので勝負すればいいやと思ったの。
欠点は美点となって花開くこともある。欠点のある人がそれを克服しようと思って試行錯誤していると、それが個性として伸びていくから、独特のキャラクターが生まれるんです。
他のコメディアンの邪魔をしない。
答えを探すというのが修行。教科書が無いから自分の教科書を作るんです。
生まれたときからずーっと運よく生きていける人生なんてどこにもありません。いい運がやってくると、必ずそのあとに不運がやってきます。だから、不運が続いている人には、きっと大きな運が待っていますよ。人生って運と不運が交互にやってきて、最後は五分五分でチャラになるの。
「曖昧で、切れがよくて、できるだけ短いセンテンス」の言葉を、選んで使う。
お笑いに分厚い台本は要らない。
不運の度合いが大きければ大きいほど、これからやってくる運も大きくなるの。だからつらくても「今は運をためてる時期なんだ」と思って耐えていれば、いつか状況は変わっていく。運の神様は、そうそう一人の人間ばかりいじめません。
萩本欽一のすべての名言