レオナルド・ダ・ヴィンチ
3
経験の弟子、レオナルド・ヴィンチ。
0
よく知られているように、間違いというものは、自分の仕事よりも他人の仕事の中に見つけやすいものだ。絵を描くときには、平らな鏡を使って、そこに自分の作品を映してみるとよい。すると、絵が左右逆に映し出される。そうすれば、誰かほかの画家によって描かれているように見え、じかに自分の絵を見ているときよりも、その欠点がよく見えるものだ。
1
その理論が経験によって確証されないあの思索家たちの教訓を避けよ。
あらゆる自然の営みは、最も短い道を通る。
私の描くこの人体は、君の目の前にまるで本人がいるようにはっきりと見えるだろう。もし君が人間の体の各部位を解剖学的に完全に知りたいと思うなら、君あるいは君の目は、下から、前から、横から、また、回してみたり、どこに起点があるか調べたりしながら、いろいろ異なった面から観察しなければならない。私の絵は、どんな部位でも君にはっきりわかる。体の各部位を三つの視点から見て表現することが大切なのだ。
自分の判断以上に自分を欺くものはない。
必要であればあるほど拒まれるものがある。それは忠告だ。それを余計に必要とする人、すなわち無智な人々からいやがられる。
誰も他人のやり方を真似すべきではない。なぜなら、真似をすれば自然の子供ではなく、自然の孫でしかない。我々には自然の形態がたくさん与えられているのだから、直接自然に触れることが大事だ。
自然は自己の法則を破らない。
知ることが少なければ愛することも少ない。
人間は古代人によって小宇宙と呼ばれた。この言葉は実に当を得ている。なぜなら、人間には肉を支える枠組みとしての骨があり、地球には土を支える岩がある。人間は血液という湖を持ち、そこでは肺が膨らんだり、しぼんだりして呼吸作用をしているように、地球には海があり、四六時中潮の満ち引きが宇宙の呼吸作用を繰り返す。血液の湖からは静脈が出ており、体中に枝分かれしていくように、海は地球に無限の水脈を広げている。
経験に裏付けられない、偉人の理論は避けよ。最初に抵抗する方が、最後に抵抗するより楽だ。
つねに恐れつつ進まぬ者は、数々の侮辱にあい、しばしば悔いることになる。
2
五感は魂に仕える従僕だ。
同じ眼でながめた対象が、あるときは大きく、あるときは小さく見える。
無知や迷妄は、我らを誤り導く。哀れな人間たちよ、己が目を開け。
多くの人は、私を非難する正当な理由があると考えるだろう。判断力が未熟なために、権威ある人々の考えと私の見解が正反対であると断じ、私の仕事が単純で平易な経験から得られた問題提起だとは考えないのだ。
理解するための最良の手段は、自然の無限の作品をたっぷり鑑賞することだ。
どこか遠くへ行きなさい。仕事が小さく見えてきて、もっと全体がよく眺められるようになります。不調和やアンバランスがもっとよく見えてきます。
4
希望が死ぬと願掛けが生まれる。
レオナルド・ダ・ヴィンチのすべての名言