レオナルド・ダ・ヴィンチ
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多くの人は、私を非難する正当な理由があると考えるだろう。判断力が未熟なために、権威ある人々の考えと私の見解が正反対であると断じ、私の仕事が単純で平易な経験から得られた問題提起だとは考えないのだ。
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理解するための最良の手段は、自然の無限の作品をたっぷり鑑賞することだ。
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自然は自己の法則を破らない。
使わない鉄が錆びるように、たまった水が腐ったり凍ったりするように、我々の知性も使い続けなければ無駄になる。
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私はいかに生きるかと思っている間、いかに死ぬかについて学んだ。
何かを主張をするのに権威を持ち出す人は全て、知性を使っているのではなく、ただ記憶力を使っているだけである。
つねに恐れつつ進まぬ者は、数々の侮辱にあい、しばしば悔いることになる。
私は決して障害に屈しはしない。
よく過ごせた日には、安らかな眠りが訪れる。だから、よく過ごせた人生には、安らかな死が訪れる。
手早さより勤勉を旨とするよう先ず心がけること。
自分の判断以上に自分を欺くものはない。
必要であればあるほど拒まれるものがある。それは忠告だ。それを余計に必要とする人、すなわち無智な人々からいやがられる。
人間はやり通す力があるかないかによってのみ、称賛または非難に値する。
経験の弟子、レオナルド・ヴィンチ。
我々の周りにある偉大なことの中でも、無の存在が最も素晴らしい。その基本は時間的には過去と未来の間にあり、現在の何ものをも所有しないというところにある。この無は、全体に等しい部分、部分に等しい全体を持つ。分割できないものと割り切ることができるし、割っても掛けても、足しても引いても、同じ量になるのだ。
その理論が経験によって確証されないあの思索家たちの教訓を避けよ。
私の仕事は、他人の言葉よりも自分の経験から引き出される。経験こそ立派な先生だ。
悪を罰しない者は、悪をなせと命じているのだ。
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あらゆる自然の営みは、最も短い道を通る。
わからないことがあると私は答えを求めて田園をさまよった。なぜ貝殻が山の頂上で見つかるのか。しかも、海にあるはずのサンゴや海藻などの跡をつけて。雷はなぜ起こった後までなり続けるのか。雷光は起こった瞬間から目に見えるのに、雷鳴はなぜもっとあとになって聞こえるのか。水に石を投げると、水面に輪ができるのはなぜか。鳥はどうして空中にとどまっていられるのか。こういう数々の疑問や不思議な現象が私の心をとらえていた。
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