レオナルド・ダ・ヴィンチ
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ほめれば間違いだし、そしればなお悪い。君がそのことをよく理解していないときには。
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質素であることは最も素敵なことだ。
あらゆるものの部分はそれ自身のうちに全体の性質を保っている。
多くの者が、虚偽の奇跡を教えて、妄想を煽って、蒙昧な大衆を欺いた。
鉄は使わなければ錆びる。水は澱んでいれば濁り、寒空には凍ってしまう。ましてや怠惰でいれば気力さえも失われる。
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知るだけでは不十分である。活用しなければならない。意思だけでは不十分である。実行しなければならない。
目は魂の窓である。
故郷に帰りたい。あるいは原初の混沌に戻りたいという望みや願いを抱いている。明りに向かう蛾のように、春や夏の再訪を喜びとともに待ち望む人のように。自分の願うことがやってくるのが遅すぎると嘆き、自分の望むことが自分の破滅につながるとも知らず。しかしこの願いこそ、その本質において、人間の体に閉じ込められ、元に戻りたいと願っている元素の霊なのだ。この願いは、その本質において、自然に内在するものである。
もし、想像の動物を本物のように見せたければ、たとえば、ドラゴンを取り上げてみると、頭はマスチフかセッター、目はネコ、耳はヤマアラシ、鼻はグレーハウンド、ライオンの眉毛に老いた雄鳥の額、ミズガメの首を使うとよい。
大いなる苦悩なくしては、如何なる完成せる才能もあり得ない。
徳は、生まれると同時に、徳に反対する嫉妬をも生み出す。嫉妬を伴わない徳よりも、影を伴わない物体のほうが先に現れるだろう。
大気のこの青い色は、本当の色ではないはずだ。暖かく湿った空気が蒸発して目に見えない細かい粒子になり、それがふたのように覆っている宇宙の黒い闇の下で太陽の光に照らされて、このような色に輝くのだ。
ちっぽけな確実さは大きな嘘に勝る。
「独創的な自然が創造したさまざまに不思議な形がたくさん寄り集まっているのを見たいものだ」という熱い思いに衝かれて、うす暗い崖の周りをしばらくさまよっていると、大きな洞穴の入り口に出くわした。しばらく、呆然としてその前で立ち尽くしていた。こんなものが存在するとは知らなかった。背を丸め、かがみ込んで左手を右ひざに充てると、まぶたが下がり、閉じる。その中に、何かを見つけることができるかどうか見極めようと、何度もそんなふうにかがみ込んだ。そうして、しばらくそこにいると、私の中に恐怖と願いのふたつが浮かび上がってきた。恐ろしげな暗い洞穴の恐怖と、その中に不思議なものがあるかどうか見たいという願いだ。
本当に物事が分かっている人は、大声を出さないものである。
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時々、機会を見つけて外出しなさい。そして、リラックスしよう。外から帰ってくると、あなたの判断はより確かなものになります。いつも仕事にへばりついていると、あなたは、判断力を失ってしまいます。
猫は、どんなに小さくても最高傑作である。
君にはわかるだろうか。視覚こそがこの世界の美しさを包み込むのだ。視覚は天文学の師であり、人間のあらゆる技術を助け、導くものだ。視覚は人間を世界の隅々までおもむかせる。視覚は数学の様々な部門を支配する。視覚による知識は最も確実なものだ。それは星の距離や大きさを測り、星座の要素や性質や運行を発見し、そこから次に起こることを予言できるようになる。視覚は、建築と図面を生み、そして最後に絵画という聖なる芸術を創始した。おお視覚よ、汝は神の最も優れた創造物だ。汝の崇高さにふさわしい、どんな賛美の歌があろうか。どのような人々が、どんな言葉が、汝の達成したことを言い表せることか。
一日の始まりの時、南側の地平線のそばでは大気がバラ色に染まった雲にぼんやり霞んでいる。西の方はまだ暗く、東の方へ行くにつれて地平線のあたりの湿った水蒸気のせいで、実際の地平線よりも明るく見える。そして東にある白い家々はほとんど識別できない。一方、南の方は遠くへ行くほど、バラ色の度合いが濃くなり、西の方はそれがもっと暗い色合いになる。そしてその影は白い家々の手前で消えている。
最も高貴な娯楽は、理解する喜びである。
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