山中伸弥
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私が外科医を目指していた頃のことですが、指導医がとても怖い人で、鬼軍曹みたいだったんですよ。でも、その人に言っていただいたことで、いまだに体に染みついていることがあります。「ごちゃごちゃ考えず、手を動かせ」です。「お前は頭がええか知らんけど、ごちゃごちゃ考えているうちに患者さんが死んでまうやないか!」と怒鳴られた。全くひどい言われようですが、でもその通りなんです。考えているばかりでなく、とにかく何かしないと患者さんは亡くなってしまう。それをすごく叩き込まれました。研究の道に入ってからも、その言葉に助けられたと思っています。
「もっと医学に関係することをやったほうがいいんちゃうか」と言われ、自分でも「何か人の役に立っているのかな」と自信がなくなっていきました。半分うつ状態になって朝も起きられなくなり、研究をやめる直前までいきました。
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失敗すればするほど幸運は来る。若い間に、いっぱい失敗して、挫折してください。
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米国で習った一番大切なことは、研究者として成功するには「ビジョンとハードワーク」、つまり目標をはっきり持ち、一生懸命やることです。当時のロバート・メイリー所長が教えてくれました。これは当たり前のようで難しい。日本人は勤勉なのでハードワークは得意です。でも、ビジョンがなければ無駄な努力になってしまう。
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私が一番影響を受けたのは、「仕事は楽しいかね?」という本です。その本には、「10回トライしたら、そのほとんどが失敗する。一つくらいはいいことがあるかもしれないけれど、結局全部ダメなことのほうが多いよ。でも、それが仕事の楽しみ方だ」ということが書かれていました。いろいろやってみてダメなのが当然、その失敗を楽しむのだと。研究はまさにその通りだと思っています。「こんな研究をやっても失敗するんじゃないか」と思ってしまうものですが、ともかくやってみる。それが大事だ、と。
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研究者は知財を意識しておく必要があります。ただ、知財に関する専門知識を研究者が持つのは不可能に近い。知財の専門家を大学に抱えるべきです。良い技術が出てきたときに、実用化まで持っていくには、知財の専門知識があり、厚生労働省などの規制当局と早期から交渉できる人材が必要です。日本の大学の研究者がよい論文を発表しても、事業としての成果は米国企業に取られかねません。
今の日本のiPS研究は1勝10敗。
日本が生きていく大きな道のひとつは、科学技術立国だと考えています。研究者や技術者はみな、科学技術立国たる日本を背負っているのだと自負しています。若くて柔軟な人が次々と研究に従事するようになれば、もっと伸びていくでしょう。
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面接の最後、やぶれかぶれ正直に、「ぼくは薬理のことはなにもわかりません。でも、研究したいんです!通してください!」って声を張ったんです。だいぶ後になってこのときの面接の先生から「あのとき叫ばへんかったら落としてたよ」といわれました。
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研究の将来性を見極める「目利き」が必要だと思います。私がiPS細胞の研究を始めた2000年頃、まだiPS細胞の影も形もなかったためか、なかなか研究費をもらえませんでした。ですが一人だけ、多額の研究費をポンと出してくださった方がいた。それが大阪大学の総長を務められた岸本忠三先生です。当時iPS細胞の研究は、成功するかどうか全くわからない投資リスクの高い研究でした。それなのに、毎年数千万円もの研究費を5年間にわたって出してくださった。そのおかげでiPS細胞は日の目を見ることができました。
特許が難しいのは、新しい知見を発見した当時は、将来化けるかどうか検討がつかないことです。特許申請には多少なりとも費用がかかるため、大学は厳選して申請するのが普通です。ただ、稼げる技術に育つ知見を選択して申請することは困難です。もしかすると、宝の卵をふるい落としてしまっているかもしれません。ですから、なるべく多くの特許を申請する必要があると考えています。
大きな課題は、研究者自身の中にある「稼ぐことへのアレルギー」でしょう。工学部のように、実用化できる技術を開発しようという意識が先生方の頭にある学部は良いのですが、理学部は対照的です。「研究の目的は真理の探究であって、実用化などとんでもない」という先生もいらっしゃる。
研究というのはアイデアひとつ、努力で色々なものが生み出せる。日本は天然資源が限られている現実があるが、研究成果は無限に生み出せる。それが国の非常に大きな力にもなるし、病気で苦しんでおられる方の役にも立つ。一人でも多くの方が研究に参加してほしい。そのような人が安心して研究できるような環境を、私たちがさらにつくっていきたい。それに微力ながら貢献したい。
研修期間の二年間ずっと「ジャマナカ」です。「お前はほんまに邪魔や。ジャマナカや」といわれつづけました。しかし、ここで壁にぶつかったことが、研究者という新しい道につながったのです。
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理系離れは深刻です。日本では研究者の地位があまりに低い。若い人たちに研究者が魅力的な仕事に見えていません。このままでは担い手がいなくなってしまうと懸念しています。米国は日本の逆です。研究者の社会的地位が高い。ハードワークなのは日米同じですが、ちゃんとした家に住んで、ホームパーティーを開いて、楽しく暮らしている人が多いのです。給料そのものも高く、ベンチャー企業とのつながりも強い。米国では研究者が憧れの職業なのです。
一見社会の役に立ちそうな研究でも、他人の真似をしているだけなのではないかという観点で評価すべきだと思うんです。単に真似するだけだったら、一カ所か二カ所の研究機関でやればいいのであって、日本中のあちこちでやる必要はありません。それよりも、すぐに役には立たないけれど、世界で誰もやっていないような研究を応援する気風が、日本にも生まれればいいなと思っています。
研究者は役に立つかわからないものを研究すべきだし、科学研究費助成事業のように、海のものとも山のものともつかない研究を支援する仕組みが、国全体の技術力を維持するうえで非常に大切です。
大事なのは少しでも多くの知的財産を生み出すことで、欧米に対する競争意識を保ち、その競争意識を研究の促進へと繋げていくことです。
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高く飛ぶためには思いっきり低くかがむ必要があるのです。
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やるかやらないかの選択を迫られたとき、やらなくて後悔するくらいなら、やってから後悔しようといったメッセージには、とても共感しました。新しいチャレンジをすると、とりあえずがんばろうと思えますが、チャレンジをやめるとそこから先へ進むことは決してできないからです。いまでも新しいチャレンジをするように心がけています。
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