羽生善治
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対局では一生懸命に先を読んでいます。しかし、それでも読みが当たらない、あるいは、わからないというケースも非常に多いのです。10手先をきっちり予想するのも極めて難しい。自分と相手の2人が5回ずつ指すだけなのに、です。これが世間一般の事象となると、まず自分では決められないことや介入できないことが多いですし、自分が決めたあとにいろいろな人が手を出してきて状況が変わっていきます。そうなると、2手先、3手先でも、どんな局面になっているのかわかりません。それを考えても仕方がないのではないでしょうか。
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変化が速い時代に対応するためには、自分自身も変化することを恐れてはいけない。
独創的な思考や創造的な思考に頭を切り替える時、記憶は足を引っ張ります。
自分に合った「成長の仕方」が、人それぞれにあると思います。例えばどんなにすごい人や事例を見ても、自分が同じことができるか、同じパフォーマンスを上げられるかと言えば、そうではない。結局は、自分なりのやり方やスタイルを見つけるほかありません。
道の途中でも、その時にしか感じることができないものもある。
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人間は本当に追い詰められた経験をしなければダメだ。追い詰められた場所にこそ、大きな飛躍があるのだ。
細かく考えすぎたらその場から動けないし、だいたいで動いているだけでは目的地につくことはできない。
新しい戦型は、実戦で試して一度負けないとマスターできない。
実は、将棋では、勝ったケースのほとんどは相手のミスによる勝ちである。本当のことだ。
冷静でいられるか。客観的でいられるか。焦らないでいられるか。
固定観念に縛られてしまうと、未知のものに驚くとか、好奇心が膨らむとかがないので勉強になりません。
最近は、どんなに反省したり注意したりしても、同じところで同じようなミスを繰り返すのは仕方がないことだと思うようになりました。ミスを犯さないようにしようとすると、かえって自分の長所まで消してしまうということにもなりかねません。
ミスには2種類あります。1つは「自分が認識できるミス」、もう1つは「認識できないミス」です。正しいことをやっているつもりでも、「後から見れば間違っていた」というケースはよくあります。とすれば、少なくとも今の時点で「ミスに気づいている」ということは、それほど深刻な状況ではない、ということでもある。むしろ、気づかずミスすることの方が怖い。
最初から細かいところにこだわって理詰めで追っていくと、効率が悪い。指し手を読んでいって、この筋はだめだとわかったら、おおもとに立ち返るわけですが、それを繰り返していたのでは、時間と体力の消耗が大きいし、的外れなところにとらわれて考え込むこともあります。それよりも、最初の段階である程度「こういう方向性でいこう」とか「とりあえずはこの手で」というのを決め、ポイントを絞ってそこに集中する。つまり「見切りをつける」ということですが、これまでの経験の積み重ねがあって、それができるようになったのだと自分では思っています。
これから日本がどうなっていくかはわかりませんし、わからないことは考えない。それは、思考をストップさせるという意味ではありません。わからなくても、とりあえず目の前で何かを選んでいかなくてはいけないし、進まなくてはいけないからです。
将棋の世界でもソフトが強くなってきています。人間の棋士が朝から晩まで長時間の試合を毎日続けるのは不可能でも、コンピューターだとそれができてしまうんですね。ですから私が今、考えているのは、膨大なデータの中から機械が見つけ出した特徴を、人が学ぶことができないかということです。
将棋は頭脳スポーツであり、ジャスト・ゲームである。
いいときは何事もうまくいくので、むしろ悪くなったときにどれだけ頑張れるかがその人の真価。
今努力しても突然強くなるということはありません。反対に努力しないからといって突然弱くなるということもありません。
相手の手の内に飛び込むことで、新たに浮かんでくる一手を消すほうがいいのではないか。
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