羽生善治
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まったく新しい戦法が現われたときに「こういう新しい戦法が出てきたときには、一生懸命研究すれば、半年ぐらいで理解できるようになるかな」「このテーマなら理解に一年はかかるな」といった目星をつけられるようになりました。これは過去に何かを成し遂げたときの「経験の物差し」があるからです。そうすると、少なくとも目星をつけた一年なり、三年なりのあいだは、不安にならずにやるべきことに邁進できます。
情報量が増えると判断の精度も上がるとは一概には言えません。たしかに昔に比べれば知識や情報が入手しやすくなって、それが若手の棋士のレベルアップにつながっているという側面はあります。しかし、知識や情報が増えるというのは、それだけ迷ったり悩んだりする材料も増すのだということを忘れてはいけません。どんなに最新の定跡や戦法を知っていても、勝負所で判断ミスを犯せば、その人は負けてしまいます。
ベテランの場合は10年かかってマスターした戦法を、愛着があって捨てきれないということがよくあります。ただ10年前、20年前に一生懸命勉強した戦法が復活するときもあります。そのようなこともありますので、絶対的な価値づけをするのではなく、蓄積した知識や経験の流動性を保つことが大切なのです。
今更、気張っても何とかなるわけでもないので。普通に、自然にやってどうなるか、ですね。
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私は才能は一瞬のひらめきだと思っていた。
感性を研ぎすます秘訣は、ほかのジャンルの人と積極的に話し、聞くこと。
負けた時には絶対に原因があります。必ず自分自身のなかにミスがあります。
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「絶好調!」と口にしている人は自分に暗示をかけているのではないか。
イメージが浮かぶのは、序盤と終盤である。浮かんでしまえば、あとは中盤でその間のつじつまを合わせればいい。
欠点を裏返すと、それがその人の一番の長所であったりする。
プレッシャーは、その人の持っている器に対してかかるものだ。器が大きければ、プレッシャーを感じることがない筈だと、自分に言い聞かせています。
将棋にかぎらず大局観というのは、正しい判断をするうえで大変重要だと私は思います。木を見て森を見ずではありませんが、仕事で難しい決断を迫られたら、そのことだけを考えるのではなく、一歩引いて、いまという時代の流れの中でその課題を考えてみると、案外答えが見つかりやすくなるのではないでしょうか。
変化が激しい時代だから経験はムダなのかというと、そうではないと思います。新しい局面に対処しなくてはならないとき、「過去にこういうやり方で遠回りしてしまった」「こういう方法でブレイクスルーできたことがある」といった経験にもとづく方法論が役に立つからです。あるいは、何をやったらいいのかわからないときに、過去の成功や失敗の経験が進むべき方向の指針になることもあるでしょう。
机上の理論や研究だけでは見えてこない部分。それは実戦を通して身につけていくしかない。
まあ、そんなに大げさなものはないんですけど。わかる範囲でわかったらいいな、とは思っています。
将棋の世界での流行の最先端をつくっているのは、20歳前後のプロになっているかいないかくらいの人たちのアイデアから生まれていることが非常に多い。だから若い世代に対しては、育成というよりむしろ学ぶことがあります。
将棋とは「粘土」のようなものーどんなものにも形を変えられる。
「真似」から「理解」へのステップは想像力を培う基礎力になる。
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人間の埋もれている力を見いだせた人や発掘できた人たちを「天才」と呼ぶのではないでしょうか。
20代には20代にしかできない将棋がある。
羽生善治のすべての名言