羽生善治
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混沌としていて何をやったらいいかわからないという場面に出合ったとき、確信も持てないし自信も持てないのは当然です。それでも、とりあえず「なんとなくこっちじゃないかな」という方向に進んで、そこでズレていると思ったら軌道修正をして、まだズレていると思ったらさらに軌道修正する。その方向性だけ誤らなければ、先がみえなくても、比較的迷わず、遠回りせずに進めるのではないでしょうか。
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よく「経験知を活かす」といわれますが、それは経験してきたことが「そのまま活かせる」ということではないと思います。世の中も、自分を取り巻く情勢も変わりますから。「経験知を活かす」とは、経験から得たさまざまな選択肢の中から、目の前にある問題やテーマに対して、何が一番いいアプローチの方法なのかを選んでいくことだと思います。
頭のなかに空白の時間をつくることも必要。
歴史を100年、200年単位でさかのぼり客観的に見ると、確実な時代など1度もない。今の時代が特殊なのではなく、「不確実な状況」というのは、歴史的に見れば普通の状況。
勝負の世界は、実際に戦ってみないことには、結果は分からない。
理にかなった手がわかるというのは大事な要素です。けれども、常に論理的に正しいのが最善手というわけではありません。ある局面を示し、どの手が論理的に正しいか尋ねれば、プロなら皆同じことを言うでしょう。つまり、論理だけで指していたら、相手にはこちらの手の内がすべてわかってしまう。それでは勝てないのです。
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見た目には、かなり危険でも、読み切っていれば怖くはない。剣豪の勝負でも、お互いの斬り合いで、相手の刀の切っ先が鼻先1センチのところをかすめていても、読みきっていれば大丈夫なんです。
「自分の得意な形に逃げない」ということを心がけている。
確かに負けている時の方が、新しいことはやりやすいですね。どうせ今、状況が悪いんだから何か違うことでもやるかという。とにかく良くなるまで色々手を尽くせばいいので、そういう時の方が、思い切ったことはやりやすい。
車でいえば、「意識的に少しアクセルを強めに踏む」ようにリスクをとるように心がけています。
「人間は、ミスをするものだ」長い間、将棋を指してきて、こう、つくづくと思う。
目の前の勝負以外のところで、やっぱり何かしなくてはいけない。
マイナス面に打ち勝てる知性、自分自身をコントロールする力を同時に成長させていかないと、経験を生かしきるのは難しくなってしまう。
何事であれ、最終的には自分で考える覚悟がないと、情報の山に埋もれるだけである。
勝負の世界では、ベストだと思う手法が通じるかどうかは、常に皆目わからないものなんです。ただ、この場面でこのやり方は通じないとか、この手はあまりよくないだろう、という当たりはつきます。経験知が活きるのは、そういう場面での対処ではないでしょうか。つまり「こうすればうまくいく」というより「これをやったらうまくいかない」ということを、いかにたくさん知っているかが大切であるような気がします。
夜の闇が暗ければ暗いほど朝も明るくなる。
人は追い込まれないと深く考えないし、そういうプレッシャーの中でしか真の実力は養えません。曖昧で答えのわからない状態というのは誰にとってもつらいものですが、私はそういう局面こそ強くなるチャンスだと常に考えるようにしています。
先のことを考えるのは、楽しいといえば楽しいものです。でも、だいたいは、考えてもそのとおりにならない。いろんな人がいろんなことを予想していますが、まずそのとおりにはなりませんよね。あまり予想なんかしても仕方がないとさえ思います。
不利になっても本筋を追求するのが基本的に大事。
将棋の世界でも、実戦を重ねれば、「過去に類似したケースがあったな」「ここから抜け出す方法はまだたくさんあるな」といった具合に、経験が生きてくる場面はあります。ただ、「経験したこと」が、その後の出来事に直接、役立つわけではありません。自分なりに過去の経験を咀嚼して、きちんと消化し、違ったものに変換させて、未来に活かすのです。
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