羽生善治
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他人のやり方を真似すること自体はいいことだと思いますが、そのまま真似ても、うまくいくとは限りません。しかしそこに「何かしらのヒント」はある。自分ができる部分を取り入れたり真似たりして試行錯誤を繰り返しながら、成長していけるでしょう。
終わったものはくよくよ考えても仕方ないから。
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無駄な駒は一枚もない。
小さい時に始めていれば戻ってやり直したいと思った時に選択肢が広がる。
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常識もマニュアルも通用しない。カーナビが効かない場所では、自分の力を試されているようでもあり、充実感が実感できるはずだ。
創造というのは、99%は過去にあった何かの組み合わせだと思うんですよね。ですからそうした意味での創造はAIでもできるようになるような気がします。
勝負に一番影響してしまうのは「怒り」の感情。
将棋では、対局後に「今日は完璧だった」「ノーミスだった」ということはほとんどありません。たいてい反省点があります。それを前提にしているので、何事も、あまりにきっちりしたやり方を追求してもうまく回らない、という感覚があるのでしょう。ミスをするのが前提、といったらおかしいかもしれませんが、そういうことも当然あると考えていますし、ミスをしたときに修正ができること、できるだけ動揺せず、ミスの前とあとで同じスタンスで対処できることをいつも考えています。
直感力や感性は総合的に磨かれる。
基本的な能力や知識、判断する力は、人はだいたい皆同じです。では何が違うのか。人にはそれぞれ、自分のスタイルや個性というものがあります。一方で、将棋の世界にもその時々のトレンドというものがある。活躍できるかどうかは、その時に流行っている最先端のものと自分のスタイルが合っているかどうかというマッチングの要素が大きいのです。トレンドにあまりに合わせすぎてしまうと、自分のスタイルが崩れてしまう。自分のスタイルは崩さない範囲で微調整して、合わせていく。両者をピッタリ合致させる必要はありません。その方向に向かって努力していけばいい。
最善手を選ぶというのは、裏を返せば、数ある選択肢の中からそれ以外を捨てるということですから、知識や情報が増えれば、それだけ選択肢が増えて見切りは難しくなるのです。また、知らないことに対する恐怖や不安も大きくなります。見切りの技術や、恐怖や不安に打ち克つ精神力も同時に鍛えて、初めて知識や情報は自分の財産になるのです。
ただ一局一局を大切に、そこにだけ集中して指してきた。
勝敗を決するのは、高いテンション、自分への信頼、分が悪い時に踏みとどまる根性。
理想としては、勝負を超越した心境の中で、将棋を指すことなんです。
私たち日本人には、「自己肯定感」が欠けている人が多いのではと思います。個人レベルでも組織レベルでも、そういう傾向がある。だからこそ、最も補わなければいけない部分なのでしょう。
簡単な達成感でも積み重ねることによって自信がついてくる。
これから機械がどんどん賢くなるのは目に見えているので、人間の知能も同時に上がっていかなければ、社会に導入する際に何らかのひずみが生じてしまうことになりますよね。だから、人間がより賢くなるためにAIの力を使うことができればすごくいいなと。AIを脅威に感じている人も多くいるでしょうが、そう考えれば怖くなくなるかもしれませんね。
これ以上集中すると「もうもとに戻れなくなってしまうのでは」とゾッとするような恐怖感に襲われることもある。
苦手な人とは距離感を変える。嫌なことは早く忘れる。
最終的には同じ結論にたどり着くとしてもそれまでの時間とプロセスが全く違います。
羽生善治のすべての名言