羽生善治
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意識しているのは、一生懸命やることでしょうか。もちろん何を一生懸命やるのかという中身も大事なのですが、精神状態についていうと、一生懸命にやり尽くしたという事実が大きい。
ハートで考えるという概念がとても好きです。
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スランプと感じたことはありません。結果が出ない時期はありましたが、それは実力だと思っています。
ミスがミスを呼ばないようにするには、お茶を飲んだり窓の外の景色を眺めたりして、ひと呼吸置くといいでしょう。それから、私の場合は、ミスをしたという事実を頭から消して、この局面から新たに始めるのだと考えるようにしています。もちろん、同じミスを再び犯さないよう反省はしなければなりませんが、それは対局が終わってからやればいい。実践中はひたすら前だけを見ていることが大切なのです。
将棋は、突き詰めると自己否定につながるところがあります。どの手を選ぶかはすべて自分の責任ですから、ミスをしたり失敗したりするのもすべて自分のせい。そう考えていくと、「結局、自分はダメなんだ」ということになりかねません。自己否定に陥らないためにどうするかというと、ある種のいいかげんさ、適当さが非常に大事なのかなと思います。
若いころは、破天荒なことをやることですごい勢いとか、運を呼ぶことがある。
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将棋における人生と日常生活での人生とをドライに割り切っていくほうがいい。
考えている中身より、費やしている時間や努力が決断する時の安定剤になる。
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どんな場面でも、今の自分をさらけ出すことが大事なのだ。
一人で考えるか、それとも何人かの人が集まって知恵を出し合うか、どちらがより有効かは、非常に面白いテーマだ。私は、基本的には一人で考えなくてはいけないと思っている。
タイトル戦であと一回負けたらタイトルを失う状態をカド番といって、昔はカド番のたびにプレッシャーを感じていました。でも、いまは慣れてきて、「もし負け越したら次に勝ち越して返り咲けばいいや」と考えられるようになった。もちろん負けないために全力を尽くすのですが、気持ちはとても楽観的です。
「ミスしたから、うまくいった」というケースもあります。将棋の対局では良い手を指そうとするものですが、「間違えたからこそ結果的にうまくいった」ケースもある。逆に、「正しい手を指したけれど、勝てなかった」ケースもあるわけです。つまり、選択と結果は必ずしも一致しない。しかしそこに、物事の機微があるとも言えます。だからといって、「ミスした方がいい」わけではありませんが。
定跡を学ぶことと独創的なことをすることは相反する。
不利な時のほうがかえって気楽。
仕事に行き詰った時は整理整頓。
経験には諸刃の剣のような側面もある。
つい攻め込みすぎて逆襲されるというミスをよくする人が、そうならないようにと慎重に指すようになったら、おそらく別のところでミスを犯すようになるはずです。だから、ミスをなくすというより、自分のミスの癖を知っておけばいいと思います。
平均点を目指すと、限界も決まってしまう。
モチベーションと気力と情熱さえ持続していれば、抜け出せないスランプはありません。
仮説は外れることもあります。しかし、仮説検証を繰り返すうちに、次第に全体像をイメージする精度が上がっていく。
羽生善治のすべての名言