羽生善治
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知識は単に得ればいいというものではなく、知識を積み重ねて理解していく過程で「知恵」に変える必要がある。
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自分の調子の波を極力小さくして常にフラットに近いような状態に持っていく。
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必ず最後には踏み込んで勝負に出なきゃいけない時がある。
長い時間考えた手がうまくいくケースは、非常に少ない。
苦手な人とは距離感を変える。嫌なことは早く忘れる。
最終的には同じ結論にたどり着くとしてもそれまでの時間とプロセスが全く違います。
仮に批評や批判が的を射たものであったとしても、実践と、それを控室やテレビで見ているのとでは、プレッシャーも緊張感も違うのですから、もちろん参考にはしますが、かなり割り引いて聞いています。気にしすぎなのはよくないですね。
幸運の女神は勇者に微笑む。
よほど先見性のある人でない限り、「自分が進むべき羅針盤を見つけることができて、それがいつも合っている」ということは、ほとんどないと思います。羅針盤は、「方向性が完璧に合っていないといけない」わけではなく、大まかでいいわけです。北に行くのか、南に行くのかさえ間違えなければいい。行きたい方角が間違っていなければ、少しずつ軌道修正しながら、だんだんと目的地に近づくことはできるはずです。
1回1回の対局は、未知の旅に出る、知らない何かを探しに出発する。私はそんなイメージを抱いて指しています。
反省の仕方ひとつにしても同様です。ミスをしたり負けたりしたときに、あとから振り返ると、たいてい似たようなところでミスをしているものです。反省はするけれども、それでも、また同じミスをすることはよくあります。そこで「二度と同じミスはしない!」と決意しても、人はすぐ忘れるじゃないですか。そして、また同じミスをしますよね。結局、癖だから仕方がないのでしょう。ただ、そういう自分の癖を知っておけば、同じミスはするものの、回数は減らせます。完全になくせれば一番いいのでしょうけれども、なかなかそうもいかないなら、頻度を低くすればいい。同じミスを繰り返すとしても、それが月に一回なのか、年に一回なのかでは、まったく影響が違います。一年に一回のミスを三年に一回にできれば大きな成長といっていい。そのくらいの考え方がちょうどいいのではないかと思います。
切り替えが必要な時というのは、「考えていることが頭から離れなくなる」時です。切り替えるためには、何か違うことをする。そうすれば、少なくともその時間は、頭の中からその「考えていること」が離れる。運動、カラオケ、何でもいい。「考えていること」からいったん離れてみると視点が変わり、気分も変わって、新たな気持ちで物事に取り組める。
他人のやり方を真似すること自体はいいことだと思いますが、そのまま真似ても、うまくいくとは限りません。しかしそこに「何かしらのヒント」はある。自分ができる部分を取り入れたり真似たりして試行錯誤を繰り返しながら、成長していけるでしょう。
積極的にリスクを負うことは未来のリスクを最小限にすること。
創造というのは、99%は過去にあった何かの組み合わせだと思うんですよね。ですからそうした意味での創造はAIでもできるようになるような気がします。
大きく見ることと、小さく突き詰めていくこと、このバランスが大切なのだと思う。
終わったものはくよくよ考えても仕方ないから。
不利な時のほうがかえって気楽。
改善の兆しがあるから、あれこれ手を打てる。
平均点を目指すと、限界も決まってしまう。
羽生善治のすべての名言