羽生善治
7
本当に勘は大きいですよ。結局序盤の定跡などは皆プロですから同じですし、研究している量も同じです。終盤、例えば5手詰め、7手詰めなど詰ます力は同じですよね。違うといったら中盤の場面ですね。よくいい手か悪い手か判断がつかない場面での着手、その手がいいのか悪いのかは後で調べてみなければ分からないんですけど、そのあたりの勘に頼んで指さなければならない2、3手で決着がついているということが非常に多いんです。
0
将棋の研究は鉱脈を掘るようなもの。
1
私は目標を立てたことがありません。あえて言うなら、いまの自分自身が思い描いている50代、60代になっていないのが目標です。人生は、意外性や偶然性が混ざって進んでいくのが一番いいと考えていますので。
大量の情報に触れる機会が多いということは、自分の頭で考え、課題を解決していく時間が少なくなっていくことでもあるので、そこが少し気になります。未知の局面に出合ったときの対応力は、今の若い棋士たちは先輩たちより少し下がっているような気がするのです。
他力に任せるというか、うまく相手に手を渡せるかどうか。
強さを手に入れるまでには、いい負けを重ねていく必要がある。
たとえば、最初に相手がミスをする。そして次に自分がミスをする。ミスとミスで帳消しになると思いがちだが、あとからしたミスのほうが罪が重い。そのときの自分のミスは、相手のミスを足した分も加わって大きくなるのだ。
自分なりに何かをやってみて、微調整を繰り返していく。これを習慣化すること。そうやって修正していけば、目標や目的に近づける。柔軟性を持って振り返りながら検証し、対処していける。
いかに集中するかではなく、いかにうまく休むかということを考える。
3
対局相手は自分の個性を引き出してくれる存在。
ミスはミスを呼び、悪手は悪手を呼ぶ。プロがミスをしないのは、ミスしにくい局面を選択しているからなんです。本当に見たこともない新手は、ひらめきみたいなものからしか生まれない。でも、それは、先入観をすべて捨てて考えないとなかなかできない。
三流は人の話を聞かない。二流は人の話を聞く。一流は人の話を聞いて実行する。超一流は人の話を聞いて工夫する。
限られた時間のなかで、すべての情報を把握するのは不可能です。とくに、最近の将棋はものすごく細分化していて、様々な戦型の開発が、同時並行的に複数の棋士によって行われています。なかにはプロの棋士である私ですら、「この型については、質問されても困る」といったものもあります。ですから、自分にとって重要だと思われる情報を、的確に取捨選択していくしかありません。
自分の考えを時折言語化してみる。
建築物が基礎から築かれていくように、どういうプロセスを経て結果が組み上がってきたのかを知るのはとても大切です。私たちはアナログで育った世代ですから、基礎や土台のつくり方を見ていますし、大変な労力と時間を使って自身でつくってきているわけです。それはある意味で、私たちの世代の強みかもしれません。
才能とは、努力を継続できる力。
将棋に限らず何事も幅広く、そして世間のペースでなく、自分のペースでものを考えたい。
調子は天気みたいなもので、晴れ続けることはないので、調子がよくない日は「そういう日もある」と割り切るようにしています。
正しいことをやっているが、成果が出ないときは、私は気分を変えるようにしています。気分転換は何でもいいのです。趣味を始めるでも、やめるでも。髪型を変えるでもいいのです。
年齢や環境のことなど基本的な部分はかなり大きいのも事実です。後はその人の性格とか努力が大きいですよね。本当に2、3年でパッと変わってしまう人っているんですよ。急に力が上がってくる、そういう人がいるんです。だからそれは本人のいろいろな意味での努力でしょうね。
羽生善治のすべての名言