羽生善治の名言
棋士
羽生善治の名言。全300個。
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私は以前、才能は一瞬のきらめきだと思っていました。けれど今は、10年とか20年とか30年とか、同じ姿勢で同じ情熱を傾け続けられることが才能なんだと思っています。
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集中力がある子に育てようとするのではなく、本当に好きなこと、興味を持てること、打ち込めるものが見つけられる環境を与えてやることが大切だ。
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情報収集をしすぎたり、対策を練りすぎると、かえって時代に取り残されてしまうことになりかねない。「捨てるべきときには、過去の蓄積を惜しまずに捨てる」という覚悟が重要。
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プレッシャーは、その人の持っている器に対してかかるものだ。器が大きければ、プレッシャーを感じることがない筈だと、自分に言い聞かせています。
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プロですから勝負して勝つことは大前提であるにしても、完璧や完全はあり得ないし、ある程度はダメでも仕方がない。ときには負けても仕方がないと、どこかで考えているほうがストレスも小さいでしょう。
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勝つのは一点差でいい。五点も十点も大差をつけて勝つ必要はない。常にギリギリの勝ちを目ざしているほうが、むしろ確実性が高くなる。
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「いかに戦うか」は、大局観にかかわるが、その具体的な戦略は事前研究が決め手になる。事前にしっかり準備して、万全の態勢で対局に臨んでくる人は強い。
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相手のことを知るよりも、自分自身が強くなればそれで済む世界だし、それを目指したほうが本筋というか、王道という気がしたんです。
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勝敗を決定するのは、「ただの一手」であったりする。絶妙の一手。あるいは絶妙に見えて最悪の一手。この一手を見つけるため、棋士はたえず研鑽を積み、盤面に全神経を集中させている。
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見た目には、かなり危険でも、読み切っていれば怖くはない。剣豪の勝負でも、お互いの斬り合いで、相手の刀の切っ先が鼻先1センチのところをかすめていても、読みきっていれば大丈夫なんです。
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誰でも最初は、真似から始める。しかし、丸暗記しようとするのではなく、どうしてその人が、その航路をたどったのか、どういう過程でそこにたどり着いたのか、その過程を理解することが大切。
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大一番の対局では、誰しも手堅く、安全、確実な道を選びたくなるものだ。自分もそうすることがよくある。しかし、確実にという気持ちに逃げると、勝負に勝ち続けるのは難しくなってしまう。
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勝負の世界では、「これでよし」と消極的な姿勢になることが一番怖い。常に前進を目ざさないと、そこでストップし、後退が始まってしまう。
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一人で考えるか、それとも何人かの人が集まって知恵を出し合うか、どちらがより有効かは、非常に面白いテーマだ。私は、基本的には一人で考えなくてはいけないと思っている。
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集中力は、人に教えてもらったり、聞いて身につくものではない。勝負どころでの集中力を発揮するには、集中できる環境を自らつくり出すことこそが大切だと思っている。
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いまの情報化社会では知識や計算は簡単に手に入る、出来るものです。だからもうあまりそれらに意味はない。これからの時代の人間にとって大事なのは決断する事だと思います。
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自分が思いついたことは、他の誰かも思いついているものなんです。これは経験則として、ほぼ間違いなくそうなんで。あんまり持っていてもしようがない、というのはあるんですよ。
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常識もマニュアルも通用しない。カーナビが効かない場所では、自分の力を試されているようでもあり、充実感が実感できるはずだ。
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人間には思考を省略して考えることができる。素晴らしい能力があるのですが、時にはそれが先入観や、偏見となって新しい発想を妨げることもよくある。
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真剣にその道を究めようとか、その道ひと筋でやっていこうという人は一種の狂気の世界というか、何かそういう線を越えないと、その先が見えないような気がします。
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マイナス面に打ち勝てる知性、自分自身をコントロールする力を同時に成長させていかないと、経験を生かしきるのは難しくなってしまう。
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難しい問題に対して、わからないと思いながら考え続けた根気。ずっと我慢して費やした時間。そうしたことがプロとして育っていくことを助けたのではないか。
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私たち日本人には、「自己肯定感」が欠けている人が多いのではと思います。個人レベルでも組織レベルでも、そういう傾向がある。だからこそ、最も補わなければいけない部分なのでしょう。
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負けた時には、何が悪かったのか。どこに問題があったのか。自分なりに総括し、必ず反省と検証をします。ただいったん終わったら、あとは過ぎ去ってしまったこととして、次に向かっていく。
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自分なりに何かをやってみて、微調整を繰り返していく。これを習慣化すること。そうやって修正していけば、目標や目的に近づける。柔軟性を持って振り返りながら検証し、対処していける。
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将棋の水準は日進月歩でレベルアップしていますから、最低限求められる基礎を抑えるために、かなりの時間を割かなくてはいけないのも事実です。
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直感は数多くの戦いをこなし体系的に学ぶうちに、後天的に養われるもので、説明ができます。でも、ヒラメキは説明ができません。なぜか自分でもわからないが、ひらめいたとしかいえません。
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いまは誰もが情報を平等に手に入れられる時代ですから、自分が思いついたアイデアは、だいたい同じ時期にほかの誰かが思いついているものです。アイデアを寝かせていたら、先にほかの棋士に指されてしまいます。
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直感は天性のものなのか、環境で育まれるものなのか、私にはよくわかりません。ただ、後から努力の積み重ねで磨かれるものではあると思います。
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創造というのは、99%は過去にあった何かの組み合わせだと思うんですよね。ですからそうした意味での創造はAIでもできるようになるような気がします。
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勝負では、知っていることに、自分の思考とかアイデアをプラスしないと、意味がないのですが、知っているという、その一点だけで、有利になるということもよくあるんです。
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将棋にかぎらず、勝負の世界では、多くの人たちに、どれだけ信用されているか、風を送ってもらうかは、戦っていくうえでの大きなファクターであり、パワーを引き出してくれる源である。
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頭の中に空いたスペースがないと集中できない。対局場に向かうために移動するとき、基本的になにも考えずに窓の外の風景を見たり、将棋に関係ない本を読む。
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マイナス要素の勉強法を採っていたおかげで、長期的な勉強方法の重要性と、そのためプラスの環境に気づき、それを活用する土台になっていた。
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将棋の世界では、AIが新しい発想やアイデアのきっかけになるということが既に起こっているんですよ。今、膨大な数のソフトが日々、対戦しているのですが、その中から創造的な作戦や戦法とかが生まれているんです。
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勉強といっても、私たち棋士にとっては、実戦の中から得るものがやはり大きいですね。新しいアイデアや発想のヒントを実戦から得て、それを日常の練習の中で掘り下げ、全体的な理解を深めていきます。
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メンタル面で切り替えなければならない時には、気分転換するようにしています。髪形を変えたり、部屋の模様替えをしたりして、何かしら生活にアクセントをつける。部屋の片づけをしたりもします。
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ツキや運、つまり流れやバイオリズムは、たくさんの要素が絡み合って変化していくもの。これは天気のようなものなので、晴れの日もあれば曇りの日もある。一喜一憂しても仕方がない。
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正しいことをやっているが、成果が出ないときは、私は気分を変えるようにしています。気分転換は何でもいいのです。趣味を始めるでも、やめるでも。髪型を変えるでもいいのです。
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先行きを心配しても仕方がない。折々に判断を下すときに、私は人間が本来持っている「野性の勘」を大切にしたいと思っています。
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将棋は二人で指すものなので、相手との駆け引きの中で自分を表現していく。その意味では、相手は敵であると同時に、作品の共同制作者でもあり、自分の個性を引き出してくれる人ともいえます。
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私は自分なりの価値基準を決めて、情報を取捨選択します。情報の質を見極めるときには、自分が信認した基準をほかに持つことをお勧めします。たとえば「この人が言っているので間違いない」といった具合です。
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意識しているのは、一生懸命やることでしょうか。もちろん何を一生懸命やるのかという中身も大事なのですが、精神状態についていうと、一生懸命にやり尽くしたという事実が大きい。
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歴史を100年、200年単位でさかのぼり客観的に見ると、確実な時代など1度もない。今の時代が特殊なのではなく、「不確実な状況」というのは、歴史的に見れば普通の状況。
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僕の場合、たとえば難局で苦しんでいるときでも精神状態を極めてリラックスさせ、楽しもうと局面を眺めているとき、無意識にふっとそういう手が生まれるんです。
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私は目標を立てたことがありません。あえて言うなら、いまの自分自身が思い描いている50代、60代になっていないのが目標です。人生は、意外性や偶然性が混ざって進んでいくのが一番いいと考えていますので。
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細かいことに気づいていくようになれば、ミスにも気づくようになる。ミスに気づけることは、自分が以前よりも確実に進歩している証しでもある。
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感情の起伏を完全になくすのは難しい気がしますが、感情が揺らいだときに自分なりに折り合いをつけることは大事なことでしょう。