ヒクソン・グレイシーの名言
格闘家
ヒクソン・グレイシーの名言。全81個。
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現在では、どの格闘技が一番強いかよりも、どの人が一番強いかを争うものになってしまった。またそこでは、肉体の強さばかりが表に出すぎて、技術のぶつかり合いがあまり見られない。
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まずは最高の自分になること。そうすれば人のために何かができる。そして、最終的に自分という枠を超えて、人の役に立てるようになればいい。
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私は、飢えた目で闘いを挑んで自分の欠点を忘れたりはしない。いつも危険を意識して試合に臨むと同時に、どんな隙も見逃さず、すかさず食らいつく。
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私は、相手の体格や制限時間などの条件を問わず、いつでも喜んで挑戦を受けてきた。そんなとき、まず心がけていたのは、「相手を打ちのめそうとしない」こと。決して自分がやられないことだ。
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私の考える「現代の戦士」とは、正しい行動を守り、求めるものを手に入れようとするが、それでも幸せになるという目標を忘れない男のことだ。
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絶対にあきらめないでください。行くところまで行って、もしもう可能性が全く無くなったら、すぐに切り替えましょう。でも、最後まで戦い抜くのがファイターです。
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私にとっての「武士道」というのは、何か目標を達成するために、100パーセントの力をもって、リスペクトの気持ちを重視しながら取り組むこと。
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いい仕事をするために、また人に良い影響を与えるために、自分の生活をつくっていかなければいけないと思っている。その活動の中心となるのは、やはり「柔術」だ。
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格闘技や武道の目指すべき姿は、それを通じてよりよい社会人を育成するということだ。競技やショーのために盛り上がっているというだけでは物足りない。
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私の一家が、アメリカでバーリ・トゥードを世界に提案し始めたときは、どの格闘技や武道が一番効率がよいか、それを競う大会だった。
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引退後、次の目標を考え始めたとき、まず浮かんだのは、ひとりでも多くの人に正しい柔術、理想の柔術、護身術をもとにした柔術を広めていきたいということだった。
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何よりも伝えたかったのは、私がやり遂げたことは誰にでもできるという真実だ。そう、実現する力は、誰もがすでに持っているのだ。
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私には、この道が自分に開かれているのかわからなかった。しかし、いつも充実していた。やりとげた達成感からではなく、毎日少しずつ上達して新しい地平が見えて来たことによる充実だ。
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今までに渡って、私は後ろを振り返って自分のやり遂げた事に満足したりしていない。今でも新しい地平にたどり着くように努力しているんだ。これが人生を美しくエキサイティングなものにする方法だと信じている。
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勝つことを優先したことはない。何よりも大事なのは、生き残ることだ。どんなことをしても自分を守ること。最悪の状況に陥っても落ち着いていること。
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重要なのは、自分の人生が退屈なのかもしれないと認めること、そして、感情的、心理的、精神的、肉体的なレベルを高めるには何をすればいいのかを知ることだ。それが分からなければ、行動を起こすことなどできない。
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与えられた環境の中で一番居心地のいい状況を作っていく。自分の置かれた状況を把握しつつ、考え方さえ変えたら、必ず幸せな人生を送ることができる。
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ただし、それは相手を倒せるようになるという意味ではない。それはまた別の話だ。それでも、自分が負けることはないと分かれば、あとは引き分けるか、勝つかしかない。
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仕事に取り組むにしても、目標へ向かうにしても、言われたからやるのではない。それが本当に自分の幸せにつながるのかどうかを、もう一度、考え直す。
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闘いのために、勝利のために、ただ死なないことだけを目指して、淡々と生きる。勝つために試合を繰り返しながらも、まるで闘うために設計された機械のように、死を実感していなかった。
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格闘家としての人生には一区切りがついたが、今は以前よりもものすごくエキサイティングな毎日を送っている。また、いろんな目標もある。
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これからは、競技の柔術はもちろんだが、護身術の柔術も広めていきたい。私にとって柔術は、選手時代と同じくらい、もしくはそれ以上に、幸せをもたらしてくれるものになっているのだ。
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私が常に考えているのは、連盟の事業をどう成長させれば、大会参加者により良いサービスを提供しながら、最終的に利益が出せるかなのだ。
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もしも現役時代を振り返っていうならば……多くのグレイシー柔術の選手に勝った桜庭とは、決着という意味でも、状況さえあえば闘ってもよかったのかもしれない。
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格闘技とは縁のない一般の人に、私が柔術を通して学んだ哲学を本を通して表現できればと思った。これまでの人生で学んできた重要なことを、できるだけ残しておきたかったのだ。