宮崎駿
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ぼくには、鉛筆と紙があればいい。
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ボクのキャラは、人間の思いのある一部を取り出したキャラなんです。メカも、小さなものが好きなんです。「ヤマト」みたいなバカデッカイコックピットだと、チームワークなんてないでしょ。
自分も含めて、人っていうのは愚かなんだなあっていう、人間が考えてるより人間は複雑で、同時にそんなに賢くないんだなっていうことをうんざりするほど思い知りました。だからといって、僕は理想のない現実主義者になりたいと思ってる人間じゃないですから、そういうふうになるつもりは毛頭ありませんけど。
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とにかく、世界全体―とは言いませんが、ちょっと不景気になったくらいで日本人がこんなに自信を失うのか―というくらいに情けない時期にですよ、ぼくらがこの映画を作るのなら、やっぱり自分たちがぶつかっている問題の本質に立ち向かっていく作品を挑まなかったら、今までの十年がどっかでいい加減になるな、と思ったんです。
「おまえのところには悪人が出てこないな」っていうふうに言われますけど、悪人が出ないようにしてるんであって、僕は回復可能なもの以外は出したくないです。本当に愚かで、描くにも値しない人間を、僕らは苦労して描く必要はないですよ!みんなヒーヒー言って、安い賃金で、肩を凝らしながら夜中まで灯りをつけてゴソゴソやってね、それで描きたくもないものをなんで描かなきゃいけないんですか。僕は描きたいものを描きたいですよ。
僕は、沖縄は日本と中国が両方仲良くするところになるといいと思います。それが一番ふさわしいです。そして交易する。非常におおらかな心を持っている人たちですから、ちゃんとやっていけると思います。
僕は自分たちの仕事をクリエイティブな仕事というよりも、リレーのように考えています。僕らは子供の時に、誰かからバトンを貰ったんです。そのバトンをそのまま渡すんじゃなくて、自分の身体の中を一度通して、それを次の子供たちに渡すんだという。
シータは、田舎娘だから、首なんかもすっごく太くしたんです。今の子供たちは、お姫さまを登場させると、それだけでひねくれちゃう、「かわいく生まれていいわね」って。じゃ、お姫さまなしでやろうと思って。でも、人間ってキラキラしてると魅力的ですよ。
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あなたは消費者になってはいけない。生産する者になりなさい。
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観終わったときに、実に「ああ、映画を観た!」っていうような、そういう映画をつくりたいです。本当にそれだけですよ。「ああ、金を払って得した」とか「観に来てよかった」っていうような。観た人がちょっと元気になるとか、ちょっと気持ちが新鮮になったとか、そのくらいのところが僕らの狙い目だなあと思うんだけど、でも、そういう映画をつくるためには、やっぱり映像表現とか内容についても緊張感を失ってはいけないと思うんです。なかなかそういかないんで困ってるんですよ。
本当に大切なものは、iナントカじゃ手に入らない。
ぼくはもう、一人の個人としてはもうだいたい先が見えたなという感じになってます。このまま仕事を続ければうまく行って手塚さんの年令で死ぬだろうなって気がするんです。そうなりたくないから、「これを最後にしたい」って言ってるだけでね、他のこともやりたいから。アニメーションだけやって「あーっ忙しい」とか「クソーッ」とか言いながら死ぬのイヤですから。
100年や200年の短い歴史よりももっと長い、何億年にもつながる歴史をアニメーションは描いたほうがいいと思っています。
仕事に直接関係あることばかりやっていたら、仕事にならないですよ。
悪いことをしても天罰が下るわけではなく、良いことをしてもお褒めにあずかるわけではない。じゃあ何が違ってくるかというと、顔が違ってくる。豚の顔になるのか、少しはましな顔になるのか。
日本人の没落というときに、何が一番気になるかといったら、今後右肩上がりの経済成長が続くとか、マルチメディアがどうしたとかいうことよりも、この国にいる子供たちが元気なのかどうかということが、僕は一番気になります。
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自分より経験のある人に尋ねることを積極的にしたらいいと思います。個人主義の時代というのは会社でも同じなのでしょうが、それが極端になると、わからないことを人に聞けないんですよね。一人で抱え込んでジタバタしている。ジブリの鈴木敏夫プロデューサーは還暦を過ぎていますが、知らないことがあれば相手が若い人であってもすぐに尋ねます。宮崎駿も同じで、決して自分一人では解決せず、「鈴木さん、これどうすればいい?」って聞ける人です。
自然というのは美しくてとてもいいものであると同時にとても凶暴で恐ろしいものなんですよ。残忍なものだと思うんです。この個体とこの個体がどうして生き残るかというと、こいつはたまたま何かに喰われたとか、樹が倒れて来て死んだとか、残忍でしょ?そういう不条理なもの、あるいは意味もなく突然抹殺するものに対して「残忍」とか「野獣のような」とかそういう形容詞を作って来たんですね。大した野獣なんて日本にはいないのにね。「人間のように残酷だ」という形容詞は使わないですよね。実は人間の方が残酷なのに。
ボクは女性が強い方が落ちつくんですよ。
ほんのわずかでもいいから、一作品ごとに試みるべきだと思っています。そういうことを放棄した途端に、僕らにとってのアニメーションはただの手段にすぎなくなって、そのなかにストーリーを説明するための手段であったり、自分の大したことのない言いたいことのための手段でしかなくなってしまって、どっかで退廃が起こると思うんです。
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