橋下徹
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リーダーシップは個人に備わるものではありません。これはシステムが作り上げるものです。
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今の日本の政治に一番重要なことは、独裁ですよ。
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立場・価値観というのは論理的に絶対的に正しいというものがない。自分の価値観はどちらなのかというある意味単純なもの。好き嫌いに近い。
堺をなくすな!堺を守れ!とういうフレーズは、実は堺市長をなくすな!堺市議会議員を守れ!というフレーズなのです。竹山さんは中世の堺の自治を持ち出しますが、その時代は、堺と大坂は戦をしていました。しかしそれから500年経った今、堺も大阪なのです。大阪府知事は堺市民の代表でもあります。
ただし法定協議会を正常化するために、きちんと議論するメンバーに交代するにしても、一方的にはできない。それをやったら独裁だ。だから市長選挙で有権者に判断してもらう。現在の法定協議会は機能していないのでメンバーを替えることについての是非を有権者に決めてもらう。これが市長選挙の大義だ。
原理原則を見極めていれば、どんな質問に対してもペーパーなしで答えられます。話が膨らみすぎて、記者から言葉尻をつかまえられるという苦い経験もたくさんしましたが、本質のところで間違ったことは一度もありません。
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新しいモノを作るためには、一回古いモノを壊さないとダメですよ。
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選挙が全てじゃないとか言われるが、民主主義の世の中で、じゃ選挙以外にどうやって物事を決めるかといえば選挙しかしない。
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変えるのは大変なエネルギーが必要。混乱があっても最初に道筋をきっちりと示すことが最重要であり、これがトップ・責任者の役割。女子柔道の関係団体はここを誤った。だから監督もそのまま継続。会見も後手後手。初動が重要。悪いことは悪いと確定的に評価。問題の本質を絶つ。安易な継続は厳禁。
学力向上にしても体力低下にしても、体罰問題も、いじめ問題も、今学校内で噴出している課題について、教育行政の世界には責任者がいないのです。ですから見ていて下さい。今回の体罰問題でも処分されるのは当該教員のみです。教育行政の組織として処分される者は出ないでしょう。これが教育委員会制度。
こんなことは政治行政の世界ではしょっちゅうあります。議会に決定権はないけれど、決議をするということはよくあります。公募区長の人事権は議会にはありません。しかし、公募区長を何とかしろ!交代させることも考えろ!という議会の決議がありました。議長を不信任にする権限は議会にありません。
危機が去った後の堤防の状況確認も、これからの対策の必要性を吟味するためのもの。そうであれば、土木担当がしっかりと検証しなければならない。素人が見ても分かるようなものではない。土木担当が検証し、必要な予算が上がってくれば、そこでどこまでお金をかけるかの判断をするのが市長の役割。
「言うだけじゃダメなんだ!」身に染みてそう感じました。だったら、いうだけじゃなく自分でやるしかない。政治家になろうと決めたのは、そんな思いが心の奥底から湧き上がってきたから。
意味のない議論を延々と続ける人たちは、それがもはや議論では収束できない「価値観の違い」であることに気付いていない。
政治に無関心なら税金は回ってこない。票になるところに税金が回っている。
そして大阪市内にできる特別区でのビジョンは、それぞれの特別区が作っていくが、維新の会は仮の区長を置いて、仮の区政会議を開いてまとめていく。東京23区がうらやましい。それぞれの区が、今、予算発表している。そにに引き替え、大阪市の区は予算発表などできない。本庁の決裁とりに追われている。
新聞の社説も、コメンテーターや学者の意見も自分の意見こそが絶対的に正しいといわんばかりですが、どれも一つの意見にしかすぎず、どの意見が正しいかなんてわからない。
政治家はきれいな言葉を吐く文学者や道徳家じゃない。目の前の課題を解決するために、泥臭く、もがきながら実行する実務家だ。
日韓の歴史家の共同作業をもってしても100%事実が明確化しない場合もある。それでも今より少しでも明確化すれば前進だ。なぜコメンテーターは批判ばかりして物事を少しでも進めようとしないのだろう。批判のための批判では、結局何もしない、現状維持になる。政治は一歩でも前に進めるためのものだ。
知事時代に相当な予算を積んで以前より倍に増えたが、それで最後は市町村長が決める。小中の不登校や朝食を食べている生徒の割合、そして保育所の待機児童って、おいおいこれは知事の仕事ではないぞ。今大阪市長として取り組んでいる。小中の学力テストも本来は市町村の責任だ。
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