宗次徳二
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他店のことを考えるよりも、自分たちの商売に徹するのがうちのやり方です。大切なのはお客さまが何を欲しているのか。私は常にそれだけを考えてきました。自分たちの考えが正しいかどうかを教えてくれるのはお客さまだけだと思っています。
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カレーの作り方も最初は教えていただきました。でももっと良い店にしよう、もっとお客様に喜んでもらおうと考え続けていく。これは誰かから教わるものではありません。その結果、目の前の達成可能な目標を達成し続けて、右肩上がりで成長を続けることになりました。
お客様が満足する経営にゴールはない。
店舗を巡回するときは、私はクルマの中で社員やメイトさんの名簿に目を通してから店に入ることにしています。名簿には社員さんの顔写真や入社日が記載されています。それを確認してから声をかけるのと、名前もわからず「おい、キミ」と呼びかけるのでは、やはり受け止め方が違う。社員としては当然名前で呼ばれた方が嬉しいですよね。
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私は現役時代、趣味も持たず、友人もつくりませんでした。飲み屋に行ったこともありません。仕事の邪魔になることは、何ひとつやりませんでした。年間5640時間働くこともありました。そうやって率先垂範しないと、部下は働いてくれないと思ったからです。
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儲けたい、成功したい、という気持ちはありませんでした。ただ人に喜んでもらいたかったんです。
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私は思いつき派の人間で、思いつくとすぐに実行する。
趣味を持たず、友達を一人もつくらず、妻と二人三脚でひたすら事業に没頭してきました。おかげさまで、「店舗数が世界一のカレーチェーン」として、ギネスにも認定され、53歳の時に生え抜きの社員から後継者を選び、経営から身を引きました。「本当にやりきった」というのが正直な実感でした。
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最初はみんな自信満々ですが、実際に一歩を踏み出すと、厳しいことはかり。本当のスタートはそこからです。その時期を耐え、値引きなどの妥協をせず、真心を込めて勝負する。歯を食いしばって続けたら2年で薄明かりが見えてきます。自分のやり方は間違ってないぞ、と。で、5年で地域の繁盛店になって、8年で地域ナンバーワン。そんなイメージがいいと思います。急がず愚直に続ければ、誰にでも成功する可能性はある。
カレー専門店「CoCo壱番屋」をオープンしましたが、最初からチェーン展開しようと思っていたわけではありません。ただ、目標を決め、コツコツとひたむきにやり続けたことが、結果としてギネスブック認定の世界一のチェーン店をつくることにつながりました。
休憩室での雑談も大事です。仕事の話をするだけでなく、普段興味のあることなどを話題にして、その社員を大事な仲間として理解しようとする。心のこもっていない褒め言葉より、こうしたコミュニケーションを積み重ねた方が、ずっと社員のやる気につながると思っています。
サービスはお客様の身になって、洞察力を働かせることです。大声で「らっしゃい!」とか「ありがとうございまーす」とか声を張り上げることではありません。うちは町の食堂ですから、会釈でいいし、挨拶に大声はいりません。大声よりも、心を込めて、ありがとうございますと言えばいいのです。
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何よりもまず、「お客様第一主義」ですね。自分たちのことは二の次で、お客様に身を捧げる。
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たとえ行き当たりばったりであっても、独断と偏見であっても、自分が決めた目標に対してひたむきにやり続ける。「目標設定→必達→目標設定→必達」を続けることが経営者にとって一番大切なこと。
経営の出来不出来は、世の中のせいでも、誰のせいでもない。すべては社長自身の姿勢次第。
やはり人柄が一番大切。よく、「ものすごくいい立地を抑えてあります」「開店資金は自己資金で十分にあります」「過去にお店を何店も成功させました」といった話はありますが、そういう条件は二の次です。それよりも人柄で納得できなければ、どんな好条件の話でも断ってきました。
SVは現場を回って問題点を探ったり盛り立てていったりすることが仕事なのに、なかにはオフィスで数字とにらめっこしているだけの人もいます。これでは上手くいく店も上手くいかなくなります。
経営者にとっては、右肩上がりの経営を継続することが全てだと思います。会社が増収増益を続けていれば、人材採用、社員教育、モチベーションなど、どんな問題もほとんど解決できます。もちろん、自分が信じたやり方からブレる事なく会社経営に身を捧げ、嫌なこと、厳しいことに率先して立ち向かう姿勢は必須として。売り上げのグラフがずっと右肩上がりなら、「ここで頑張れば何年か後には幹部になれそうだ」と、みんな頑張りますよね。
一日ずつ、一月ずつ、目の前のお客さまに対して一生懸命にサービスをすること。ただ、それだけのことでした。
現場主義を貫けたことと後継者に恵まれたことが何よりうれしい。会長退任のお別れ会で、私は社員にそう話しました。その日まで店の制服を着て、腕まくりで働き、その精神を継いでくれる人間にバトンを渡せたからです。浜島俊哉社長は18歳からアルバイトとして壱番屋で働きはじめ、当社を隅々まで知っている。彼が我々夫婦を追い越してくれたのだから、安心して退任できました。
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