亀井勝一郎
1
多忙であることによって、自分は何か仕事をしたという錯覚を抱くことが出来る。
伝説には民衆の愛憎と夢が託されている。
0
人は後姿について全く無意識だ。そして何げなくそこに全自己をあらわすものだ。後姿は悲しいものだ。
2
善事は罪悪感を抱きながらせねばならない。
繊細な感受性とは、ニュアンスへの鋭敏さともいえるだろう。日本語でいうなら陰翳への愛だ。
歳月は慈悲を生ず。
女性は処女性をもっても、魔性をもっても、男性を征服することは出来ないが、ただ母性をもってのみ征服することが出来る。
幸福とは微笑のようなものだ。微笑は微笑しようと思っても出来るものではない。泉のように自然に、静かに湧いてくるものである。
自己に絶望し、人生に絶望したからといって、人生を全面的に否定するのはあまりにも個人的ではないか。人生は無限に深い。我々の知らないどれほど多くの真理が、美が、あるいは人間が、隠れているかわからない。それを放棄してはならぬ。
5
人間の心は、眼や表情にもあらわれるが、後姿にはっきりあらわれることを忘れてはならぬ。
3
人は何事かをなせば必ず悔恨はつきまとう。そうかといって何事もなさざれば、これまた悔恨となる。
お互い生きることに疲れている病人だという自覚あってはじめて家庭のささやかな幸福が見出される。
人間と人間のつながりは、程度の差はあっても、誤解の上に成立しているものです。お互いに自分でもわからぬ謎をもって生きている以上、当然のことだと言っていいでしょう。善意の誤解の上に、恋愛や友情は成立すると言っていいと思います。
恋愛は激しいほど休息を欲している。
人間は死ぬべきものだ。恋愛が成立するための、これが基本条件である。
恋愛は激しいほど休憩を欲している。恋愛にも日曜日がなければならない。それがかろうじて永続させる方法であり、つまり忘却の逆用である。
割り切りとは、魂の弱さである。
今日の若い男性は教養程度が低くなったので、目立つものにしか心をひかれない。発見する能力を失ったのだ。女性もまた教養程度が低くなったので目立つようにしか化粧をしない。
愛の敵は、慣れるということである。
死そのものよりも、死についての想像の方が、はるかに我々を恐怖せしむる。
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