亀井勝一郎
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人は後姿について全く無意識だ。そして何げなくそこに全自己をあらわすものだ。後姿は悲しいものだ。
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歳月は慈悲を生ず。
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井伏鱒二、太宰治等の作家に長く交わり、ともすれば生硬になりがちな批評家の批評筋肉といったものを、柔らかくもんで貰ったことも記しておきたい。
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私の感情としてあった中国人侮辱感は、その半面にヨーロッパ人やアメリカ人への劣等感を伴っていた。今度の戦争で無条件降伏するよりもずっと以前に、我々は「ヨーロッパ近代」に無条件降伏してきたのではなかったか。それで私の対米英戦争肯定の気持の中には、この劣等感に対する反発のあったことにも気づくのである。少なくともそれが私の民族主義のひとつの根拠になっていたのだ。しかし戦争責任の根本は中国侵略の肯定である。
あまりに批評家という言葉にとらわれすぎている。僕は自分が批評家とよばれようとよばれまいと大して意に介さない。もう少しゆとりある一個の人間であればいい。徹底した客観などというものは認められないのである。政治のみならず、文学においてさえ客観の姿ほどあいまいなものはない。
女性は処女性をもっても、魔性をもっても、男性を征服することは出来ないが、ただ母性をもってのみ征服することが出来る。
小林秀雄は江戸の職人である。小林秀雄は栄養料理の名手である。只この料理が必ずしも吾々の美観をまんぞくさせぬ。
人は何事かをなせば必ず悔恨はつきまとう。そうかといって何事もなさざれば、これまた悔恨となる。
いくつになっても、こっぴどく自分をやっつけてくれる先輩を持つことは、悔しいけれど、人生の幸福である。
お互い生きることに疲れている病人だという自覚あってはじめて家庭のささやかな幸福が見出される。
私はその間にあって、自分の凡庸さがわかり甚だ困惑してきた。それだけに刺激されるところ多く、勉強になった。
人間は死ぬべきものだ。恋愛が成立するための、これが基本条件である。
念仏を唱えつつ金堂の中をへめぐったら、それで心は満ち足りるのだ。
今日の若い男性は教養程度が低くなったので、目立つものにしか心をひかれない。発見する能力を失ったのだ。女性もまた教養程度が低くなったので目立つようにしか化粧をしない。
すべての欠点は長所にむすびついている。
忘れ難い百済観音の姿は、私にとってはもはや観照の対象ではなく、信仰の対象となっていた。
自己に絶望し、人生に絶望したからといって、人生を全面的に否定するのはあまりにも個人的ではないか。人生は無限に深い。我々の知らないどれほど多くの真理が、美が、あるいは人間が、隠れているかわからない。それを放棄してはならぬ。
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こここそ真に憩いの場となるところらしい。
強い精神ほど孤立する。
人間と人間のつながりは、程度の差はあっても、誤解の上に成立しているものです。お互いに自分でもわからぬ謎をもって生きている以上、当然のことだと言っていいでしょう。善意の誤解の上に、恋愛や友情は成立すると言っていいと思います。
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