三島由紀夫
1
打算のない愛情とよく言ひますが、打算のないことを証明するものは、打算を証明するものと同様に、「お金」の他にはありません。打算があつてこそ「打算のない行為」もあるのですから、いちばん純粋な「打算のない行為」は打算の中にしかありえないわけです。
3
男性は、安楽を100パーセント好きになれない動物だ。また、なつてはいけないのが男である。
2
人生には濃い薄い、多い少ない、ということはありません。誰にも一ぺんコッキリの人生しかないのです。
何か、極く小さな、どんなありきたりな希望でもよい。それがなくては、人は明日のはうへ生き延びることができない。
今の時代はますます複雑になって、新聞を読んでも、テレビを見ても、真相はつかめない。そういうときに何があるかといえば、自分で見にいくほかないんだよ。いま筋の通ったことをいえば、みんな右翼といわれる。だいたい、「右」というのは、ヨーロッパのことばでは「正しい」という意味なんだから。
0
男の本質は、マザー・シップ。
いくら乱れた世の中でも、一本筋の通つたまじめな努力家の青年はゐるもんだよ。小心で優柔不断らしい女が、男を不幸にしてゐる。
人生が生きるに値ひしないと考へることは容易いが、それだけにまた、生きるに値ひしないといふことを考へないでゐることは、多少とも鋭敏な感受性をもつた人には困難である。
政治的スローガンとか、思想とか、さういふ痛くも痒くもないものには、人間は喜んで普遍性と共有性を認めます。毒にも薬にもならない古くさい建築や美術品は、やすやすと人類共有の文化的遺産になります。
日本ではステイタス・シンボルに当たるものが私は何があるのかと聞きたい。
裏切りは、かならずしも悪人と善人のあひだでおこるとはかぎらない。
貞女とは、多くの場合、世間の評判であり、その世間をカサに着た女のヨロイである。
伝統は野蛮と爛熟の二つを教へる。真の戦争責任は民衆とその愚昧とにある。政治家は民衆の戦争責任を弾劾しない。彼らは、泰西人がアジアを怖るゝ如く、民衆をおそれてゐる。この畏怖に我々の伝統的感情の凡てがある。その意味で我々は古来デモクラチックである。日本的非合理の温存のみが、百年後世界文化に貢献するであらう。
人に笑われるなどということは全く大したことじゃありません。だから我々は大いに他人の失敗を笑うべきなのであります。
神聖なものほど猥褻だ。だから恋愛より結婚のはうがずつと猥褻だ。
天才というものは源泉の感情だ。そこまで堀り当てた人が天才だ。
生きることが難しいなどといふことは何も自慢になどなりはしないのだ。
現状維持というのは、つねに醜悪な思想であり、また、現状破壊というのは、つねに飢え渇いた貧しい思想である。
経済学の学説なんぞといふものは、どつちみち如意棒のやうなもので、エイッと声をかけて、耳へ入るだけの小ささに変へてしまへばやすやすと握りつぶせるのである。そもそも唯物論は、「金で買へないものは何もない、どんな形の幸福も金で買へる」といふ資本主義的偏見の私生児なのである。感動すまいとする分析家は、感動以上の誤りを犯す場合がままある。
人生は夢なれば、妄想はいよいよ美し。
三島由紀夫のすべての名言