マルクス・アウレリウス・アントニヌス
1
君は理性を持っているのか?「持っている。」それならなぜそれを使わないのか。もしそれがその分を果しているならば、そのうえ何を望むのか。
0
人生は闘争にして、仮の宿なり。
事物はそれ自体いかなるものであるか、その素材、原因、目的に分析してみるべきである。
死とは感覚を通して来る印象や、我々を糸であやつる衝動や、心の迷いや肉への奉仕などの中止である。
つねに、そしてできることならあらゆる場合において、自分の思念に物理学、倫理学、論理学の原理を適用してみること。
幸福は、その人が真の仕事をするところにある。
君の全生涯を心に思い浮べて気持をかき乱すな。どんな苦労が、どれほどの苦労が待っていることだろう、と心の中で推測するな。それよりも一つ一つ現在起ってくる事柄に際して自己に問うてみよ。「このことのなにが耐え難く忍び難いのか」と。
もうしばらくすれば君は灰か骨になってしまい、単なる名前にすぎないか、もしくは名前ですらなくなってしまう。そして名前なんていうものは単なる響き、こだまにすぎない。人生において貴重がられるものはことごとく空しく、腐り果てており、取るに足らない。
死は誕生と同様に自然の神秘である。同じ元素の結合、その元素への〔分解〕であって、恥ずべきものでは全然ない。
3
死は感覚の休息、衝動の糸の切断、心の満足、または非常招集中の休止、肉への奉仕の解放にすぎない。我々が死によって失うものは時間のわずかな一部、現在の一瞬のみ。
善い人間のあり方如何について論ずるのはもういい加減で切り上げて善い人間になったらどうだ。
4
人の一生は短い。君の人生はもうほとんど終わりに近づいているのに、君は自分に尊敬をはらわず、君の幸福を他人の魂の中に置くことをしているのだ。
君の考えを美辞麗句で飾り立てるな。余計な言葉やおこないをつつしめ。
未来を思い煩うな。必要あらば、現在役立ちうる知性の剣にて十分未来に立ち向かわん。
たとえばカルミッソス、それからまたアウグストゥス、ハードリアーヌスとアントーニーヌス。すべてすみやかに色あせて伝説化し、たちまちまったき忘却に埋没されてしまう。しかも私はこのことを、この世で驚くばかりに光輝を放った人びとについていっているのだ。
2
怒りの結果は、怒りの原因よりはるかに重大である。
今すぐにも人生を去って行くことのできる者のごとくあらゆることをおこない、話し、考えること。
他人の厚顔無恥に腹が立つとき、ただちに自問してみなさい。「世の中に恥知らずの人間が存在しないということがあり得ようか」と。そしてそれに「あり得ない」と答えるだろう。それならば、あり得ぬことを求めてはいけない。
今後なんなりと君を悲しみに誘うことがあったら、つぎの信条をよりどころとするのを忘れるな。曰く「これは不運ではない。しかしこれを気高く耐え忍ぶことは幸運である」。
元老院において、またあらゆる人びとにたいして、整然と、判然と話すこと。健全な言葉づかいをすること。
マルクス・アウレリウス・アントニヌスのすべての名言