ジョン・レノン
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愛とは、育てなくてはいけない花のようなもの。
1
「ヌートピア」は国土を持たず、国境を持たず、旅券もなく、ただ住民がいる。
僕らの社会は、ばかげた目的のために、あきれた人々によって動かされている。
3
ビートルズは、ほしいだけの金を儲け、好きなだけの名声を得て、何も無いことを知った。
2
虚偽で生きていくのは、現実によって、肉体的な意味や外部的な意味の悩みを含む現実によって生きていくのよりよほど大変だからね。虚偽の方には必ず内面的な問題がつきまとうものだよ。
歌ってのは書けるものかい――ここにこうしてすわっていれば、いきなり歌の方で押しかけてくるんだよ。だからせっつかれるような感じでピアノに向かうか、ギターを手にするかして、書きとめる。作るんじゃなくて、思いがけず贈られるようなものさ。
僕がこれまでどうやってきたかは教えられるけど、君がこれからどうするかは自分で考えなきゃ。
人にはいろいろなことが起るし、さまざまな目にあうけれども、情況に対してはみんなある程度責任があるんだ。
エルヴィスの前には何もなかった。
歌というのはいきなりやって来るものであって、職人がなにかを作るみたいにすわっていてできるわけじゃないんだ。それだって僕はやれる。そうさ、映画のためにバナナの歌がほしい?できますよ、じゃ、こんな風にやろう――こんなやり方はあんまり楽しくないかもしれない――しかしそのレベルでだって作れるんだ。しかし僕の本当の喜びは、霊媒みたいに憑かれた状態でいることなのさ。ぼやっとすわっている時に、夜中かなにかにいきなり来ることもあるし、来てほしくない時に来ることだってある――それが一番ぞくぞくするようなすごいことなんだ。そこで、僕が横になっている時にいきなり歌が完全な形で、歌訶も節もやってくる、それをさ、ね、歌を書くなんて言えるかい?
自分の心は自分でめんどう見なきゃ。かわりなんか誰もつとめちゃくれないよ。
僕の言うことなんて、半分は意味もない。ただ君に聴いて欲しくて話しているんだ。
愛とは愛されたいと願うこと。
僕は前衛的なんていうラベルはそれ自体が敗北だと思うんだ。前衛派の展覧会というのがあるよね。前衛派が展覧会を開けるというそのこと自体が前衛の目的をつぶしちまっている。つまりもう形式化され、儀式化された以上、それは前衛ではない。
僕たちの身に起ることは、みなある程度まで僕たち自身が作ったものなんだ。それは多分自分をすっかり投入することとか、仕事ってものを外界的な視点からばかり見ないとか、自分が進んでいく方向に目を向けて……足もとを見るんじゃなくてね、そういうこと全部に関係してくるんじゃないかって思う。
「絶対に成功できる」この言葉を自分に言い聞かせていれば、本当に成功できるんだよ。
人の言うことなんて気にしちゃだめだよ。「こうすれば、ああ言われるだろう・・・」こんなくだらない感情のせいで、どれだけの人がやりたいこともできずに死んでいくのだろう。
平和を試してみよう!僕らが言ってるのはそれだけだ。
根本的な才能とは、自分に何かが出来ると信じることだ。
はじめに作った歌詞カードには「マスターベーション」て言葉があった。だけど僕の曲はあっちこっちでもう何度も禁止されて……出すレコードはみんな何かの理由で禁止なんだ。なにしろ「アイム・ザ・ウォルラス」だって、中にズロースという言葉が出てくるんで一時BBCは禁止していたんだからね。つまり、あんまり何度も禁止ばかりくらっていたから、その時はちょっとひよってマスターベーションをマスティケーションに変えたのさ。マスターベーションという言葉ひとつにこだわるよりは、曲そのものが世に出ることの方が大事なんだ。
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