伊達公子
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私にとって年齢は単なる数字にしかすぎない。
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努力は報われないことも多々ある…でも努力しなければ何も変わらない。
以前は、自分がこう思ったら人の話に耳を貸さないことがありました。頑なでしたね。テニスをする機会を与えてもらっているというのにそれに感謝できず、当然のことのように思っていたかもしれません。でもいまは、テニスが続けられることを本当にありがたく思っています。時間を大切にするようになったのも、そうした精神面の変化が影響していると思います。
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私は朝、目覚めた瞬間、ベッドから起き上がるだけで自分の身体の調子がわかります。もし調子が悪い日なら、眠りが浅かったのか、それとも疲れがまだ残っているのかと、まず原因を考えます。そしてそれをもとにその日の練習プランを組み立てます。自分の状態に気づいて、それに対する対策を練る姿勢で組み立てていくと、効率的な練習ができるのです。
いくつになっても夢を持つことは素敵なことだし、たとえそれを実現できなくても、新しい一歩を踏み出すこと自体がすてき。
人間というものは成長を求める生き物だと思うのです。試練を乗り越えて自分のレベルを上げたい。そういう気持ちは誰しも心の中に持っているのではないでしょうか。私の場合、その気持ちを思い起こさせてくれたのは、やはりテニスでした。「やっぱり私はテニスが好きだったんだ」と気づくのに11年もかかってしまいました。でもそれは私にとって必要な時間だったと思います。
若いころは体力に任せてただがむしゃらに突っ走る、というところがありました。練習も可能な限り時間をとって、限界までハードなことをするというやり方です。でもいまは、体の声を聞きながら、量より質を重視したトレーニングをするようになりました。
心のなかで限界をつくらなければ、人間の可能性はひろがっていくと、私は信じている。
テニスは何かと予定変更の多いスポーツです。第一試合の開始時間は決まっていますが、そのあとに予定されている試合はいつ始まるかわかりません。何時間も待たされることもありますし、天候不良が原因で中止になったりコートが変更になったり、対戦相手が変わることもあります。ですから、どんな場合でも動揺をできるだけ抑える自己コントロール力が大切になります。
ありがたいことに「20代の現役のときよりいまのほうが、身体能力が高くなっているのでは?」とよくいわれます。たしかに、ある部分ではそうかもしれません。それが可能になったのは、自己管理の結果なのではないかと自分では思っています。以前よりストレッチは入念に行いますし、疲労をとって回復力を高めるためのマッサージも欠かしません。試合のためにできる限り準備をして、無理はするけれど無茶はしないように心がけています。
継続するということは、同じことの繰り返しではなく、成長し続けることなのです。
いま、一番難しいところに来ているのかなと思っています。これまでは、痙攣の克服と、スピードテニスに対する反応を重点的にやってきたのですが、いまは疲労を溜めないで、どれだけ早く回復させて、いい状態で試合に臨めるか、というのが自分の中では課題になっている。
自分の気持ちを平静に保つには、沈黙する時間も必要ですし、一人になれる空間も必要かもしれません。でも私は、感情を抑えるのではなくあえて吐きだすという方法もとります。思い通りにプレーができなくて自分にいらだった場合や、スケジュールの突然の変更、審判のミスジャッジ。腹が立ったらそれを我慢しないで「ハア!」と大きく息を吐きだしたり、必要ならば審判に抗議したりもします。でも、次の瞬間には気持ちを切り替えます。怒りを発散して、後に残さないようにしているのです。それが自己コントロールで最も気を付けていることです。
諦めることは簡単だしいつでもできる。
私は怒りをあとに残しません。腹が立つことがあっても、翌日にはケロッと忘れてしまえるんです。
人生にままならないことはたくさんあっても、挑戦に年齢制限はない。
テニスの練習はもちろんのこと、それと同様に意識しているのは、練習を含めた毎日の生活全体を整えるということです。寝ること、食べること、楽しむこと、自分が決めたことをコツコツ持続させることで、自分の体調や変化にもすぐ気づくことができます。
たったひとつのことでも毎日何かを続けるには、それなりに気持ちを強く持つ必要があります。時間通り、予定通りのルーティンをつくることで、自分の中にリズムが生まれてきます。そうしてやるべきことをコツコツとこなし、決めたことをきちんとやり抜くことが、いずれ実を結ぶのだと思います。
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年齢に縛られてやらないんだったら、これから、なにもできなくなる。
周りからの支え、いままでの自分の得てきた経験などすべてが、いまのテニスプレーヤーとしての自分を形づくっていると感じます。
伊達公子のすべての名言