又吉直樹
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主人公が一つの信念を持って、それを頑なに貫くようなものより、いろんな人物が出てきては主人公が彼らとぶつかり、迷い、そして何かを乗り越えていくというような話が僕は好きです。葛藤が多いほど、主人公の持っている言葉や信念が強くなる気がします。
2
僕は、2週間でいいからみんなからキャー、キャー、言われてみたい。日本に来日したときのビートルズのように。
4
フルーツポンチ村上から、「中村文則さんの「教団X」を読み終えたんですが、凄すぎて、興奮して電話してしまいました。今から、もう一度読みます」という電話があった。本当に凄い小説。僕も同じように二回読んだ。そして、村上に触発されて三回目に突入している。破格の面白さ。
子供の頃から僕はみんなから愛されるタイプの人間じゃなかった。急に注目を浴びたことで、みんなの期待に応えようとし過ぎているんじゃないか。もちろん読みやすくするための努力はするけれど、結局は自分の思うものをつくるしかない。そんな当たり前のことに気付いた。
後輩のロシアンモンキーとマキシマムパーパーサムが解散する。面白いコンビの解散は寂しいけれど、この二組が僕達同世代の芸人に与えた影響と功績と痕跡は絶対に消えない。ただ、彼等は四人とも僕が真面目な話をすると「ボケろや!」とか言うてくる鬱陶しい部分もある。
3
怖かった。毎日、僕らに何ができるんやろう。何かできることからやろうと徐々に思うようになった…。
歩幅を間違えてました。自分は足が短いと肝に銘じよう。
思い通りにならないことって、たくさんありますよね。でも、そうした出来事が起こる原因にちゃんとした犯人はいない。何かのせいで、思い通りに物事が進まないということじゃない。世界って、そんなにわかりやすい作られ方はしていないと思うんです。
7
自分に対する女心は、自意識が邪魔をしてわからないんです。
今から、吉祥寺の「百年」で、キャラバンの難波麻人と話してきます。難波とは中学の同級生です。中1の時、お気に入りの自転車にまたがった難波は、格好いい表情で「見とけ」と僕に言うと、急な坂道を凄まじいスピードでくだって行き、転んで骨を折り、ひと夏を無駄に過ごしました。あほでした。
恋愛小説を書こうとしたひとつのきっかけは、過去に書いてきたエッセイの中で恋愛について触れることがあまりなかったからなんです。書いてこなかった、その世界観を広げ、深く掘り下げていったら、立ち上がってくる新たなものがあるんじゃないかと編集の方から助言をいただいたこともあって。
女性の気持ちがわからない。
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「ぺぺ」、「ペペロ」、「ペペロン」、「ペペロンチ」、「ペロ」、「ロン」、「ロンチ」、「チーノ」、「ロンチーノ」。9人の名前にわけることが出来るペペロンチーノを下北沢で食べています。
最初の一言が、「爬虫類を飼うしかなさそうな奴がこっちを見ていた」だったなら、僕はその人の話を一応は聞く。
二十代前半の頃、京王井の頭線の三鷹台に住んでいました。今日は、その三鷹台にある大学の学園祭に来てます。すぐ近くに、当時の大家さんの家があって、毎月家賃を持って行くと、五千円お小遣いをくれる優しい大家さんでした。
沖縄花月の合間に、近くの商店街を歩いていたら、「直樹!」という声がして、振り返ったら親戚だった。そういえば、僕は直樹だった。
文学が選ばれた人たちだけの遊びにならへんほうがいいと思うんですよね。サッカーのレベルが上がったのって、サッカー人口が増えたからやと思うんです。僕が年取った時にめっちゃおもろい本読むためには、文学を好きな人が増えれば増えるほど、とんでもないのが出てきやすくなる。
僕にとってファッションは自意識との闘いなんです。どう見られるか、どう見せたいかじゃないんですよ。笑われるのを覚悟のうえで、断トツに尊敬してる志茂田景樹さんとかドン小西さんみたいに、好きな服を好きに着るのがオシャレだと思うんですよね。
実は僕、芸人としては致命的なんですけど、モノボケみたいなストレートなギャグが一番嫌いやって。でもやらなあかんから、真剣に向き合おうと。だったら、ストレートで面白いギャグってないんかなと考えた時に、それは「短い」と気づいたんですね。俳句や短歌は文字数は短いけど面白いし、決してその言葉の中で終わってへん。広がっていっている。そう思ってから、一度にすべて言うんじゃなくて、そこからみんなが想像できる「何かの一部分」を出していくようにしたんです。
エッセーを書いていたので、文章を書くこと自体は慣れていたんですけど、小説は全く違うもの。それでも、ある時急に書きたいという欲求が湧き上がってきたんです。
又吉直樹のすべての名言