平野岳史
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学生時代に家庭教師のアルバイトをやったこともあったし、これだったら自分にもできそうだということで見よう見まねで始めたのが、家庭教師センターだったんです。アルバイトの四重掛け持ちをしながらの紆余曲折が、最初の起業につながっていったんです。
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よく最初から大きな構想や、高い志を持って、それに向かって邁進することが大事だっていわれますよね。たしかにそれは理想論として素晴らしいことですが、じゃあ、そういう考え方を持たない人は起業に向いていないのかと言うと、僕はそうじゃないと思うんです。
仕事が上手くいくかどうかなんて、実際は2勝8敗がいいところです。でも、8敗したって2勝すれば、外からは全勝しているように見えるものなのです。だから、一度や二度、失敗したからといって、そんなものやる気を失う理由にはなりません。失敗したら、その経験を次に活かせばいいのです。
ビジネスの世界でトップランナーの位置にいる人を見ると、みなさんあまりワークライフバランスのようなことは悩んでいませんね。だいたい経営者というのは、24時間仕事のことを考えているのが普通じゃないですか。しかし、一見すると仕事漬けのようであっても、本人は活き活きしている場合が多い。それは、仕事そのものを楽しんでいるからです。ワークライフバランスがとれているから充実しているというのとは、ちょっと違うと思います。
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会社の規模によってマネジメントの仕方は変わる。社員が10人以下の場合、野球でいえば経営者がエースで4番でやっているのが一番会社として効率がいいと思うんです。一人で打って守る。社長の言うことを忠実にこなしてくれる社員と、自分が思う存分仕事ができるような体制作りが業績にもつながると思うんです。もうちょっと会社が大きくなって社員が50人くらいになると、いくら経営者が自分でやりやすいようにやったところで、自分一人では限界があります。社員全員のモチベーションを上げて頑張ってもらわないと、会社は大きくならないと思います。
家庭教師センターの営業をやったとき、営業相手は子供をもつお母さんたちなのですが、押せば押すほど、拒否反応を起こされて、話をまったく聞いてもらえませんでした。そこで、6つ歳下のトップ営業マンに、「お母さんとどう話しているの?」と聞いてみました。すると彼は、「まず、子供と仲よくなるんです」と教えてくれたんです。たしかに、子供と仲よくなって、彼らのやる気を起こさせなければ、お母さんたちも契約はしてくれません。それからは、男の子なら「ドラゴンクエスト」、女の子なら「光GENJI」の話題でまず盛り上がるようにしました。すると、体験学習をしたときの子供たちのやる気が全然違ったんです。
食べるためだけに働くのなら、私はとっくに仕事を辞めて、毎日好きなゴルフ三昧の生活を送っていますよ。そうしないのは、仕事で人からすごい奴だと認められ、評価される快感の方がゴルフより数段大きいからに他なりません。おそらく、これを超えたら評価されるという期待値のハードルの高さが、そのままやる気の大きさになるんじゃないでしょうか。
退社するのをやめちゃおうかと思ったんです。会社にいれば守られているわけですし、自分でいうのもなんですけど、すごく業績が良かったんです。給料も高くて、仲間もいいやつが多いし、だんだん辞める理由がなくなってきちゃって、こんなところで辞めなくたっていいんじゃないの、うまくいけば専務、最低でも部長にはなれるぞ、ともう一人の自分が言うわけです。
さまざまなタイプの営業を経験したことは、経営者となったいまも非常に役立っています。私の毎日は商談や交渉の連続ですが、相手がどんなタイプの方でも、すぐに相手に合った話し方ができる自信があります。それも、営業マン時代に多種多様な方々にお会いしたからです。
期待に応えたいという思いは、確実にやる気を引き出してくれます。プロ野球の選手だって、一番大きいのは、監督やファンの期待に応えたいという気持ちなんじゃないでしょうか。「ここで一本ヒットを打てば、来季の年俸が100万円上がるから頑張ろう」とは思わないですよね。
お客様が購入に踏み切る理由は、提案内容や多少の値段の安さより、「その営業マンへの評価」であることが圧倒的に多いと思うのです。実際、当社の新人営業マン研修をみていても、同じサービスを同じように売っているのに、歴然とした差が出ます。
25歳で起業するために決めた3つの目標。
けん引役である企業のトップが元気のない顔で社員の前に出ることは許されません。伸びている会社で社長がしょんぼり下を向いているなんて、あり得ないでしょう。戦国時代だって、大将が「さあ、いくぞ」とやる気いっぱいでなければ、戦に勝てなかったはずです。さらに、この役割意識にもうひとつ付け加えるとすれば、周囲の期待に応えたいという気持ちでしょうか。
「熱意がある」「ニーズを引き出し、相手のメリットになることを提案する」といったことは最低条件。そのうえで、売れる営業マンと売れない営業マンを分けるのは、「心の距離を縮めるのがうまいかどうか」なんですよ。最初のうち、お客様は必ず営業マンとのあいだに、心の壁をつくっています。その壁を越えないことには、商品の提案に進めません。みなさんも、いくらよい商品でも、嫌いな人からは買う気がしないと思うんです。
大学生のころ、一緒に起業しようと言っていた人間が4・5人いたんですけど、やっぱり就職するよと一人減り、二人減り、最後には自分だけになっちゃったっていう苦い経験があったので、今度はしっかりと自分についてきてくれる仲間を探そうと思ったんです。
何度も辞めようと思いました。思いとどまらせたのは意地というかメンツというか。もしこれで終わってしまったら、自分のやってきたことが法の盲点を突いただけの虚業と思われてしまう。それだけは許せなかった。それに危機に瀕して辞めていく社員も多くいる中で、それでもついてきてくれた社員がいた。彼らの存在が心の支えになっていました。
20歳のころから、自分が成功するイメージは、大きな事業を立ち上げる事業家になることだ、というふうに変わっていったんです。父が亡くなった幼少期がその原体験になっているんだとは思いますが、起業しようと思いだしたのは20歳を過ぎてから、それももっと具体的に考え出したのは就職してからでした。
結局、売れる営業マンは、お客様に「この営業マンは自分と相性が合う」と思わせるのが、非常に巧みなんです。「相性が合うこと」をもう少し具体的にいうと、「その相手の存在が心地よい」ということですね。話すスピードや間合い、声のトーン……。これらの波長が合う人を、人は心地よいと思うものです。
日雇い派遣業には働く側、労働者を受け入れる側、それぞれにニーズがあった。働く側は、今すぐお金がほしいけれど、好きな時にできるだけ家の近くで仕事をしたいと考えている。一方、企業側も、仕事量に合わせた人材がほしい。そのため前日に大量の発注をしても、きちんと時間どおりに人材を送り込んでくれるのであれば利用したいと考えている。お互い非常にわがままです。そのニーズを満たしてあげることで、仕事はどんどん増えていきました。
すでに会社を辞めてから一カ月近く経っていましたから、このまま悶々と考えているより行動だと思ったんです。よく考えたら、自分はアルバイト以外では営業しかやったことがなくて、まだ本当の意味で社会を知らない。だから、とにかく働こうと。でも、もう一度会社に勤めるのは悔しい。それで、四つ掛け持ちでアルバイトを始めたんです。
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