平野岳史
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25歳で起業するために決めた3つの目標。
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「熱意がある」「ニーズを引き出し、相手のメリットになることを提案する」といったことは最低条件。そのうえで、売れる営業マンと売れない営業マンを分けるのは、「心の距離を縮めるのがうまいかどうか」なんですよ。最初のうち、お客様は必ず営業マンとのあいだに、心の壁をつくっています。その壁を越えないことには、商品の提案に進めません。みなさんも、いくらよい商品でも、嫌いな人からは買う気がしないと思うんです。
大学生のころ、一緒に起業しようと言っていた人間が4・5人いたんですけど、やっぱり就職するよと一人減り、二人減り、最後には自分だけになっちゃったっていう苦い経験があったので、今度はしっかりと自分についてきてくれる仲間を探そうと思ったんです。
さまざまなタイプの営業を経験したことは、経営者となったいまも非常に役立っています。私の毎日は商談や交渉の連続ですが、相手がどんなタイプの方でも、すぐに相手に合った話し方ができる自信があります。それも、営業マン時代に多種多様な方々にお会いしたからです。
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20歳のころから、自分が成功するイメージは、大きな事業を立ち上げる事業家になることだ、というふうに変わっていったんです。父が亡くなった幼少期がその原体験になっているんだとは思いますが、起業しようと思いだしたのは20歳を過ぎてから、それももっと具体的に考え出したのは就職してからでした。
結局、売れる営業マンは、お客様に「この営業マンは自分と相性が合う」と思わせるのが、非常に巧みなんです。「相性が合うこと」をもう少し具体的にいうと、「その相手の存在が心地よい」ということですね。話すスピードや間合い、声のトーン……。これらの波長が合う人を、人は心地よいと思うものです。
家庭教師センターの営業をやったとき、営業相手は子供をもつお母さんたちなのですが、押せば押すほど、拒否反応を起こされて、話をまったく聞いてもらえませんでした。そこで、6つ歳下のトップ営業マンに、「お母さんとどう話しているの?」と聞いてみました。すると彼は、「まず、子供と仲よくなるんです」と教えてくれたんです。たしかに、子供と仲よくなって、彼らのやる気を起こさせなければ、お母さんたちも契約はしてくれません。それからは、男の子なら「ドラゴンクエスト」、女の子なら「光GENJI」の話題でまず盛り上がるようにしました。すると、体験学習をしたときの子供たちのやる気が全然違ったんです。
すでに会社を辞めてから一カ月近く経っていましたから、このまま悶々と考えているより行動だと思ったんです。よく考えたら、自分はアルバイト以外では営業しかやったことがなくて、まだ本当の意味で社会を知らない。だから、とにかく働こうと。でも、もう一度会社に勤めるのは悔しい。それで、四つ掛け持ちでアルバイトを始めたんです。
人間は、初対面の人がどんな人か、過去の経験則から、5分以内で判断するそうです。つまり、5分以内に相手の波長を見極めて、合わせられれば、距離がグッと縮まるわけです。
ビジネスの世界でトップランナーの位置にいる人を見ると、みなさんあまりワークライフバランスのようなことは悩んでいませんね。だいたい経営者というのは、24時間仕事のことを考えているのが普通じゃないですか。しかし、一見すると仕事漬けのようであっても、本人は活き活きしている場合が多い。それは、仕事そのものを楽しんでいるからです。ワークライフバランスがとれているから充実しているというのとは、ちょっと違うと思います。
なるべくリスクが少ない形で起業したいと思っていましたから、思う存分チャレンジするために一番いい年齢は25歳くらいじゃないかな、と考えて決めたんです。
私も事業の立ち上げを任せて失敗した人ぐらい、会社にとって貴重な存在はいないと思っています。もちろん、そのときは失敗に対して減給や降格という形で責任をとってもらいますが、そこで腐らず這い上がってくる人は、必ず伸びます。
「この話をまずして、次にこの話をして……」というように、綿密にトークを用意していくのは逆効果です。大学時代、ある友人が、「俺が告白したら、彼女はこう答える。そして俺はこう答える……」と細かくシミュレーションして告白したんです。見事に撃沈しましたね。ひと言めから予定が狂い、全然しゃべれなくなってしまいました。営業でも、まったく同じことがいえますね。やはり会ったときに瞬時に観察して、相手に合わせていくことが大切。場数を踏めば、それもできるようになります。
どんなお客さんも、「買って損をした」とは思いたくないんです。だから、「あなたがお客の立場なら、どうなの?」と、営業マンに聞きたくなる。そのとき、「自分がお客様の立場なら、その商品を必ず買います。なぜなら……」と、自信をもって答える用意をしておくことが不可欠です。
仕事が上手くいくかどうかなんて、実際は2勝8敗がいいところです。でも、8敗したって2勝すれば、外からは全勝しているように見えるものなのです。だから、一度や二度、失敗したからといって、そんなものやる気を失う理由にはなりません。失敗したら、その経験を次に活かせばいいのです。
石の上にも三年という言葉があるように、僕は一つの事業で答えが出るのに最低三年はかかると思います。結局、ほとんどの人は、そこにたどり着く前に挫折しちゃうんですよ。ある程度会社の規模が大きくなれば、問題はってもまだ先は見えるんです。でも、最初の一・二年というのは経済的な裏付けもなく、本当に自分のやっていることが合っているのかどうかもわからない。実を結ぶかどうかも分からないという苦しさなんですよね。そこの一番の苦しいところを乗り切るための強さ=自分に自信をもって諦めないことが大事だと思います。
自信をもって言い切らないと、ハンコはもらえません。だから、「商品に惚れ込め」とよくいわれるのでしよう。それができないときは、会社にどんどん注文をつけるべきです。酒場で「ウチは商品力がなくってさ……」とグチっていても意味がありませんからね。それでも、どうしてもダメなら、転職を考えたほうがいいかもしれません。
23年前にもらった初任給は、額面15万8640円。このときの給与明細を、私はいつも財布に入れています。「これが地道に働いて得たお金なんだ。そして、この金額が社会に出て最初に私に与えられた価値なんだ」とその重みを噛みしめると同時に、将来この価値を何倍に殖やすことができるのだろうという期待や可能性に胸を膨らませていたのです。
食べるためだけに働くのなら、私はとっくに仕事を辞めて、毎日好きなゴルフ三昧の生活を送っていますよ。そうしないのは、仕事で人からすごい奴だと認められ、評価される快感の方がゴルフより数段大きいからに他なりません。おそらく、これを超えたら評価されるという期待値のハードルの高さが、そのままやる気の大きさになるんじゃないでしょうか。
一番うまくいった商談を思い出して、「今日も絶対うまくいく」と自己暗示をかけてから、商談に臨むようにしています。たとえば、講演の前などは、「大丈夫、大丈夫。私は講演がうまいし、私の言うことを聞いてつまらないと思う人はいない」と自分に言い聞かせるんです。
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