平野岳史
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ビジネスの世界でトップランナーの位置にいる人を見ると、みなさんあまりワークライフバランスのようなことは悩んでいませんね。だいたい経営者というのは、24時間仕事のことを考えているのが普通じゃないですか。しかし、一見すると仕事漬けのようであっても、本人は活き活きしている場合が多い。それは、仕事そのものを楽しんでいるからです。ワークライフバランスがとれているから充実しているというのとは、ちょっと違うと思います。
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学生時代に家庭教師のアルバイトをやったこともあったし、これだったら自分にもできそうだということで見よう見まねで始めたのが、家庭教師センターだったんです。アルバイトの四重掛け持ちをしながらの紆余曲折が、最初の起業につながっていったんです。
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私も事業の立ち上げを任せて失敗した人ぐらい、会社にとって貴重な存在はいないと思っています。もちろん、そのときは失敗に対して減給や降格という形で責任をとってもらいますが、そこで腐らず這い上がってくる人は、必ず伸びます。
会社の規模によってマネジメントの仕方は変わる。社員が10人以下の場合、野球でいえば経営者がエースで4番でやっているのが一番会社として効率がいいと思うんです。一人で打って守る。社長の言うことを忠実にこなしてくれる社員と、自分が思う存分仕事ができるような体制作りが業績にもつながると思うんです。もうちょっと会社が大きくなって社員が50人くらいになると、いくら経営者が自分でやりやすいようにやったところで、自分一人では限界があります。社員全員のモチベーションを上げて頑張ってもらわないと、会社は大きくならないと思います。
退社するのをやめちゃおうかと思ったんです。会社にいれば守られているわけですし、自分でいうのもなんですけど、すごく業績が良かったんです。給料も高くて、仲間もいいやつが多いし、だんだん辞める理由がなくなってきちゃって、こんなところで辞めなくたっていいんじゃないの、うまくいけば専務、最低でも部長にはなれるぞ、ともう一人の自分が言うわけです。
創業時から株式上場を狙っていました。と言いたいところなんですが、全く考えていなかったですね。まずどうやったら食っていけるか、それだけを考えていました。
仕事が上手くいくかどうかなんて、実際は2勝8敗がいいところです。でも、8敗したって2勝すれば、外からは全勝しているように見えるものなのです。だから、一度や二度、失敗したからといって、そんなものやる気を失う理由にはなりません。失敗したら、その経験を次に活かせばいいのです。
会社が大きくなっていく過程では、自分自身が置かれている立場も変わりますし、組織の作り方も違います。何回も変化しますから、常に会社の変化のスピードよりも自分が一歩先を考えて成長していかないとダメだな、というのが実感です。
25歳で起業するために決めた3つの目標。
食べるためだけに働くのなら、私はとっくに仕事を辞めて、毎日好きなゴルフ三昧の生活を送っていますよ。そうしないのは、仕事で人からすごい奴だと認められ、評価される快感の方がゴルフより数段大きいからに他なりません。おそらく、これを超えたら評価されるという期待値のハードルの高さが、そのままやる気の大きさになるんじゃないでしょうか。
大学生のころ、一緒に起業しようと言っていた人間が4・5人いたんですけど、やっぱり就職するよと一人減り、二人減り、最後には自分だけになっちゃったっていう苦い経験があったので、今度はしっかりと自分についてきてくれる仲間を探そうと思ったんです。
期待に応えたいという思いは、確実にやる気を引き出してくれます。プロ野球の選手だって、一番大きいのは、監督やファンの期待に応えたいという気持ちなんじゃないでしょうか。「ここで一本ヒットを打てば、来季の年俸が100万円上がるから頑張ろう」とは思わないですよね。
僕の場合、自分の中でできることを見つけて、本当に身近なところから手をかけていっただけ。最初は生きていくために始めた事業が、やっと食えるようになり、徐々に形になっていった。そういう変化の中で自分の考え方も変わっていき、そんな社長を見て周りの人もついてくる。自分を支えてくれるいい仲間に恵まれたことも大きかったですね。そうやって上を目指せるようになっていくということが、僕はすごく大事だと思うんです。
20歳のころから、自分が成功するイメージは、大きな事業を立ち上げる事業家になることだ、というふうに変わっていったんです。父が亡くなった幼少期がその原体験になっているんだとは思いますが、起業しようと思いだしたのは20歳を過ぎてから、それももっと具体的に考え出したのは就職してからでした。
自分の成長が会社に抜かれてしまうと、人は満足してしまうんです。そうなると、会社の成長も個人の成長も、僕は終わりだと思うんです。どの経営者も、自信をもって怖いものなしの時もあれば、自信がなくてなんでこれで俺は会社をやれているんだろうと思う時、その両面があると思うんです。人間ですから、ずーっと強気一辺倒で行ける人なんていないですよ。ただそれを言葉に出すかどうか、そういうふうに感じながらも考えないようにする意志の強さを持っているかどうか、それだけだと思うんです。
けん引役である企業のトップが元気のない顔で社員の前に出ることは許されません。伸びている会社で社長がしょんぼり下を向いているなんて、あり得ないでしょう。戦国時代だって、大将が「さあ、いくぞ」とやる気いっぱいでなければ、戦に勝てなかったはずです。さらに、この役割意識にもうひとつ付け加えるとすれば、周囲の期待に応えたいという気持ちでしょうか。
すでに会社を辞めてから一カ月近く経っていましたから、このまま悶々と考えているより行動だと思ったんです。よく考えたら、自分はアルバイト以外では営業しかやったことがなくて、まだ本当の意味で社会を知らない。だから、とにかく働こうと。でも、もう一度会社に勤めるのは悔しい。それで、四つ掛け持ちでアルバイトを始めたんです。
何度も辞めようと思いました。思いとどまらせたのは意地というかメンツというか。もしこれで終わってしまったら、自分のやってきたことが法の盲点を突いただけの虚業と思われてしまう。それだけは許せなかった。それに危機に瀕して辞めていく社員も多くいる中で、それでもついてきてくれた社員がいた。彼らの存在が心の支えになっていました。
最初は登録している4000名を対象に、商品を提供して商売しようと考えたんですね。たとえば、学生向けの保険や旅行企画。これが、ことごとく失敗。当時はちゃんとリサーチをせずに、思い込みだけで事業をやってしまっていました。学生に聞いてみると、自分たちはお金がないから家庭教師のバイトをしているのに、保険や旅行なんてムリですよって。そこから、そうか!お金がないんだったら、家庭教師以外に何か働き口を探してあげよう。という思考に変わっていったんです。
なるべくリスクが少ない形で起業したいと思っていましたから、思う存分チャレンジするために一番いい年齢は25歳くらいじゃないかな、と考えて決めたんです。
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