平野岳史
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さまざまなタイプの営業を経験したことは、経営者となったいまも非常に役立っています。私の毎日は商談や交渉の連続ですが、相手がどんなタイプの方でも、すぐに相手に合った話し方ができる自信があります。それも、営業マン時代に多種多様な方々にお会いしたからです。
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25歳で起業するために決めた3つの目標。
会社の規模によってマネジメントの仕方は変わる。社員が10人以下の場合、野球でいえば経営者がエースで4番でやっているのが一番会社として効率がいいと思うんです。一人で打って守る。社長の言うことを忠実にこなしてくれる社員と、自分が思う存分仕事ができるような体制作りが業績にもつながると思うんです。もうちょっと会社が大きくなって社員が50人くらいになると、いくら経営者が自分でやりやすいようにやったところで、自分一人では限界があります。社員全員のモチベーションを上げて頑張ってもらわないと、会社は大きくならないと思います。
家庭教師センターの営業をやったとき、営業相手は子供をもつお母さんたちなのですが、押せば押すほど、拒否反応を起こされて、話をまったく聞いてもらえませんでした。そこで、6つ歳下のトップ営業マンに、「お母さんとどう話しているの?」と聞いてみました。すると彼は、「まず、子供と仲よくなるんです」と教えてくれたんです。たしかに、子供と仲よくなって、彼らのやる気を起こさせなければ、お母さんたちも契約はしてくれません。それからは、男の子なら「ドラゴンクエスト」、女の子なら「光GENJI」の話題でまず盛り上がるようにしました。すると、体験学習をしたときの子供たちのやる気が全然違ったんです。
よく最初から大きな構想や、高い志を持って、それに向かって邁進することが大事だっていわれますよね。たしかにそれは理想論として素晴らしいことですが、じゃあ、そういう考え方を持たない人は起業に向いていないのかと言うと、僕はそうじゃないと思うんです。
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大学生のころ、一緒に起業しようと言っていた人間が4・5人いたんですけど、やっぱり就職するよと一人減り、二人減り、最後には自分だけになっちゃったっていう苦い経験があったので、今度はしっかりと自分についてきてくれる仲間を探そうと思ったんです。
ビジネスの世界でトップランナーの位置にいる人を見ると、みなさんあまりワークライフバランスのようなことは悩んでいませんね。だいたい経営者というのは、24時間仕事のことを考えているのが普通じゃないですか。しかし、一見すると仕事漬けのようであっても、本人は活き活きしている場合が多い。それは、仕事そのものを楽しんでいるからです。ワークライフバランスがとれているから充実しているというのとは、ちょっと違うと思います。
20歳のころから、自分が成功するイメージは、大きな事業を立ち上げる事業家になることだ、というふうに変わっていったんです。父が亡くなった幼少期がその原体験になっているんだとは思いますが、起業しようと思いだしたのは20歳を過ぎてから、それももっと具体的に考え出したのは就職してからでした。
学生時代に家庭教師のアルバイトをやったこともあったし、これだったら自分にもできそうだということで見よう見まねで始めたのが、家庭教師センターだったんです。アルバイトの四重掛け持ちをしながらの紆余曲折が、最初の起業につながっていったんです。
私も事業の立ち上げを任せて失敗した人ぐらい、会社にとって貴重な存在はいないと思っています。もちろん、そのときは失敗に対して減給や降格という形で責任をとってもらいますが、そこで腐らず這い上がってくる人は、必ず伸びます。
創業時から株式上場を狙っていました。と言いたいところなんですが、全く考えていなかったですね。まずどうやったら食っていけるか、それだけを考えていました。
すでに会社を辞めてから一カ月近く経っていましたから、このまま悶々と考えているより行動だと思ったんです。よく考えたら、自分はアルバイト以外では営業しかやったことがなくて、まだ本当の意味で社会を知らない。だから、とにかく働こうと。でも、もう一度会社に勤めるのは悔しい。それで、四つ掛け持ちでアルバイトを始めたんです。
仕事が上手くいくかどうかなんて、実際は2勝8敗がいいところです。でも、8敗したって2勝すれば、外からは全勝しているように見えるものなのです。だから、一度や二度、失敗したからといって、そんなものやる気を失う理由にはなりません。失敗したら、その経験を次に活かせばいいのです。
会社が大きくなっていく過程では、自分自身が置かれている立場も変わりますし、組織の作り方も違います。何回も変化しますから、常に会社の変化のスピードよりも自分が一歩先を考えて成長していかないとダメだな、というのが実感です。
なるべくリスクが少ない形で起業したいと思っていましたから、思う存分チャレンジするために一番いい年齢は25歳くらいじゃないかな、と考えて決めたんです。
食べるためだけに働くのなら、私はとっくに仕事を辞めて、毎日好きなゴルフ三昧の生活を送っていますよ。そうしないのは、仕事で人からすごい奴だと認められ、評価される快感の方がゴルフより数段大きいからに他なりません。おそらく、これを超えたら評価されるという期待値のハードルの高さが、そのままやる気の大きさになるんじゃないでしょうか。
期待に応えたいという思いは、確実にやる気を引き出してくれます。プロ野球の選手だって、一番大きいのは、監督やファンの期待に応えたいという気持ちなんじゃないでしょうか。「ここで一本ヒットを打てば、来季の年俸が100万円上がるから頑張ろう」とは思わないですよね。
石の上にも三年という言葉があるように、僕は一つの事業で答えが出るのに最低三年はかかると思います。結局、ほとんどの人は、そこにたどり着く前に挫折しちゃうんですよ。ある程度会社の規模が大きくなれば、問題はってもまだ先は見えるんです。でも、最初の一・二年というのは経済的な裏付けもなく、本当に自分のやっていることが合っているのかどうかもわからない。実を結ぶかどうかも分からないという苦しさなんですよね。そこの一番の苦しいところを乗り切るための強さ=自分に自信をもって諦めないことが大事だと思います。
僕の場合、自分の中でできることを見つけて、本当に身近なところから手をかけていっただけ。最初は生きていくために始めた事業が、やっと食えるようになり、徐々に形になっていった。そういう変化の中で自分の考え方も変わっていき、そんな社長を見て周りの人もついてくる。自分を支えてくれるいい仲間に恵まれたことも大きかったですね。そうやって上を目指せるようになっていくということが、僕はすごく大事だと思うんです。
23年前にもらった初任給は、額面15万8640円。このときの給与明細を、私はいつも財布に入れています。「これが地道に働いて得たお金なんだ。そして、この金額が社会に出て最初に私に与えられた価値なんだ」とその重みを噛みしめると同時に、将来この価値を何倍に殖やすことができるのだろうという期待や可能性に胸を膨らませていたのです。
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