加藤諦三
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依存心が強い人は、時に非常によく相手に尽くします。
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しがみついているものからちょっと手を離すと、幸せになれます。
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痛みという生理的現象でさえ、心の持ち方に大きく左右されます。同じ傷を負っても、同じように痛いのではありません。ハーバード大学の麻酔科のビーチャー教授は、治療が必要なほどの激痛の頻度を、第二次大戦で負傷した兵士と一般人の対応群とで比較しました。兵士は広範囲にわたって負傷していましたが、モルヒネを用いた治療を求めたのは32%だけでした。それに対し、一般人のほうでは83%でした。驚くべきことに、戦争での負傷者は、比較的、痛みから解放されていたのです。さらに注目に値するのは、負傷した兵士たちは楽観的で、陽気でさえあったということです。兵士は戦場から野戦病院に運び込まれています。絶望的に不安な地域から比較的安全な地域に運び込まれているわけです。彼らは、「災難は終わった」と考えていたのです。
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人間は怒りと寂しさの処理で人生を間違える。
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一歩一歩順序に従って物事は解決していってください。
不機嫌な人は、甘えの欲求が満たされていない人です。
いま、「営業成績が思うように挙がらない」と悩んでいる人は、営業成績が思うように挙がらないという事実で苦しんでいるのではありません。いままでの生き方といまの心の持ち方が、悩みの原因なのです。そこを間違えると、死ぬまで悩みは解決しません。
妄想を持った人の中には、甘えられないというよりも、甘えそのものを知らないという人が多いようです。
「自由に育てる」というのは聞こえがいいですが、実際には指導方法を知らない、ということが多いようです。
自分の血を流さないで物事を解決しようとしないこと。
心理的事実と客観的事実とは違います。人は客観的事実ではなく、心理的事実で生きています。長いあいだ、「醜いアヒルの子」で生きてきた人もいます。間違った思い込みで生きてきた人です。そういう人は、一人で勝手に悩んでいます。一人で悩みをつくって生きています。事実は違うのですから。
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全ての人に好かれたいと思うと限りなく深刻に悩みます。
同じ失敗でも、名声追求の過程で失敗した人と自己実現の過程で失敗した人では、その失敗によって被る心の傷がまったく違います。名声追求の過程で失敗した人にとって、その失敗は心理的に痛手ですが、自己実現の過程で失敗した人にとって、失敗はたんなる一つの体験にすぎないのです。「現実と接する」この一点を守ることで解決する悩みはたくさんあります。
いつもいつも悩んでいる人がいる。それはその時々の一番の大きなことに気を奪われるからである。その一番大きな問題が解決すればその次の大きな問題が最も深刻な苦しみや悩みになってくる。その人にとってその時点ではそのことが最も大きな問題だからである。その悩んでいることももしもっと大きな問題が出てくれば消えてしまう。
なぜ?と考えることは幸運の始まりです。
真面目で無口だから不満でないと思っては、人を見間違えます。
青春時代とは問題のないことが異常なのである。問題がある方が正常なのである。いや、人生は一生、問題をかかえているのである。青春には青春の問題があり、老年には老年の問題がある。青春の問題を解決できないような人間は、老年になればまた老年の問題を解決できない人間なのだ。
本当の原因は何か。そのことをハッキリ突き止めないと、物事の解決の解決は出来ません。
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将たる器という言葉があるが、将たるものは明確な意志を持ち、決断のできる人でなければならない。何事につけても「君に任すよ」と言いながらも、何事につけても不満な上役がいる。自分に意見があったうえで「君に任すよ」というのは相手に対する信頼感があるから言えることである。ところが、自分に意見がなくて、どうしていいかわからないから「君に任すよ」という上役がいる。こういう上役は要注意だ。上の人が自分に意見がなくて君に任すよというくらいなら、下の者としては隅々まで指図された方がずっとやりやすい。
「マネージャーに昇進したが、部下が思うように動いてくれない」と悩んでいる人は、「それで自分の価値がなくなった。その失敗で人間としての価値がなくなった。失敗した自分はダメな人間だ」と思っています。そう思うから悩んでいるのです。「部下が思うように動いてくれない」という事実で悩んでいるのではありません。
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