ジェームズ・アレン
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真実は、浅はかでも軽率でもありません。だから人生の勝利は、軽薄でいいかげんな人には見向きもしないのです。
0
自分にも、人にも、足らないことばかりを見つけて、愚痴や嘆きに変えることが、乱れる心と眠れない状況を創るのです。
4
憂鬱な顔は偶然の産物ではない。それは憂鬱な心によって造られる。
たくさんの荷物を背負って旅に出ると、途中で疲れて立ちどまってしまいます。そのようなときは、余計なものを捨てれば、身軽になって、また歩き出せるようになります。このように、欲望や信念、憶測などを、ごちゃごちゃとたくさん背負い込んでいる「複雑な人生」と、本当に必要なことだけを満たして、事実に反する憶測や余計な議論に煩わされない「シンプルで自由な人生」はまったく違います。
自ら望み、決意を新たにすれば、自分自身の課題を心に置いて、人生のレッスンを究めていくことができます。そして、深い知識と自信にあふれるまでに成長した人は、もう未熟で不運な人生を生きることはないでしょう。思慮深い正しい判断で、穏やかな人生を生きるようになっているはずです。
2
物事を達成するためには、たとえそれが世俗的な目標のためであっても、奴隷じみた動物的な欲望から抜け出さなければなりません。
私たちは、人生からさまざまなことを学ぶことができます。しかし、賢明さがなければ、いくら経験を積んでも、正しい考えを自分のものにすることはできません。
生活をコントロールをする人は、健康面だけでなく、同時に精神面のコントロールも強化していくことになります。恵まれた健やかさと強さは、心に歓びとパワーを与えます。自分をよりよくコントロールしていけば、快適な暮らしに恵まれるのです。
不道徳な思いを抱けば、身体はすぐに病み衰えます。楽しく、美しい思いを抱けば、身体は若さと美しさにつつまれます。
根気よく、正しい方向の努力を続ける人にとって、自由で安らぎに満ちた幸せの扉に行き着けない理由など、どこにもありません。
3
わけもわからずに人の意見や考えを信じ込んだり、勝手な理論を真に受けることは、馬鹿げた過ちを犯しているのと同じです。正しいか正しくないかの判断ができない曇った心の目しか持たない人は、不運なできごとから無知な妄想を展開したり、正しい道理から外れた着想でものごとを捉えたりします。こうした妄想ほどやっかいなものはありません。この世に存在しない恐怖の怪物を、自分で創り出してこわがっているようなものです。
罪は、自分を欺く行為です。そして、平然と自分を欺くことができるのは、自分自身を欺いていることがわかっていない無知な証拠です。洞察という精神的な目が未発達で歪んでいる場合、善悪の判断がひどく曖昧なまま、罪に手を染めることになります。
非利己的な思考をめぐらしつつ、あらゆる人々に好意を抱き、あらゆる人々と楽しく接し、忍耐を持ってあらゆる人々の内部に良いものを探し続けることは、天国への王道である。
私たちは常に、自分がひそかに一番愛しているものに惹かれていく。人が努力の末に手に入れるのは、結局自分がもの求めるものではなく、自分そのものなのだ。
あなたの障害になるもの、あなたを縛るものは、あなたの思いと考えです。
5
私たちは、貧欲にお金を得ようと努力をする代わりに、穏やかさを得るための努力をするべきです。決して、人生の一部分で目標を達成したくらいで満足していてはいけません。そうすれば、気高さと知恵を高め、強さと安らぎに向かって成長していくことができるはずです。
「自分の身を修めてから、人びとを教化せよ」これは、中国の思想家である孔子の道徳的政治思想の根本的な原則です。状況の圧力を受けて、狂乱的な不安に陥ったり、怒りや敵意を露わにして暴走するような人には、人を率いて、責任のある任務をおこなうだけの能力が備わっていません。
清らかな心からは、清らかな人生と清らかな身体が作られ、けがれた心からは、けがれた人生とけがれた身体が作られます。
「揺るぎない確かな成功」とは、人からは勝利に見えなくても、自分自身が、喜びと充実感で満たされるものなのです。
私たちの願いや祈りは、私たちの行いがそれに調和したものであるときにのみ叶えられるのです。
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